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【自動車ライターの自由研究】セダン車は、なぜ売れなくなったのか

はじめに

自動車には、スポーツカーだったり、ミニバン、コンパクトカー、バスやトラックなど、様々な形があり、街中を走り回っています。

そのなかにセダンと呼ばれる、4ドアタイプの車が存在していています。

かつては、スーパーや遊園地などの駐車場には、このタイプが多くを占めた時代もありましたが、現在ではミニバンやコンパクトカー、軽自動車がその多くを占めるようになりました。

そこで、車の歴史をグーンと遡って、車がどんな変化をして現在に至るのか考えてみることにしました。

グーンと遡り1900年ごろの日本

日本に車が持ち込まれたのは、1890年ごろだったといわれています。そのころの車は、下の写真のような車でした。

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※トヨタのホームページより引用(車:フォード)

車としてみると、サスペンションも付いているし、ハンドルも丸く(車が発明された当時は、本当に舵のようなレバーだった)、シートも豪華(車が発明された当時は、ただの木のベンチ)ですね。

かなり車っぽくなりました。

特に注目したいのは、前席にはドアがありませんが、後部座席にはドアがついて、乗り降りは4か所から可能という意味で、ちょっとだけセダンっぽい要素が見えます。

このあと、1907年に日本で作られた車は、このフォードのような見た目で、ガタリク走る様子から、「タクリー」と言われたそうな。

という事は、の本の車の歴史は明治くらいからという事になりますね。

大正時代で、車はどうなったのか

大正時代には第一次世界大戦という、大きな変化が起こります。当然、物資輸送、人員輸送などには車が用いられたはずなので、便利に、使いやすいように、よりタフになっていったと考えられます。

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トヨタTGE-Aトラックです。レプリカらしいのですが、リアには曲がりやすいようにデフがついているし、「あぁトラックだな」と思います。それと同時に、元の車をギューンと伸ばして、後ろに木枠を付けただけといえば、そうかもしれません。

明治は、その後に関東大震災などもあり、歴史の教科書のページが分厚くなるのも仕方ないかと思うような出来事がたくさん起こる、波乱の年代だったと思います。

長い昭和は、始めと最後で別の時代か?

日本の歴史として考えても、第二次世界大戦、モータリゼーションなどなど、数ある自動車メーカーが、今の自動車メーカーの名前に切り替わった頃に移っていきます。

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トヨタTGA-MPバスです。先のトラックのバスバージョンですが、カーテンがついてたり、豪華な仕上がりだなと思います。それと同時に注目したいのは、タイヤも耐久性がありそうな鉄製で、かなり近代化しました。戦争の中でタフさが進化した結果なのではないでしょうか。

でも、相変わらず車は高級品です。誰もが乗れるものではありませんでした。

特に戦後の復興という意味では、活発に仕事をしてもらい、お金を回すことで成長していくことになり、中卒で働くことが当たり前の時代を迎えます。というか、学校どころではなかったと思います。

バイクぐらい乗れなきゃどうしようもない→原付は16歳から取得可能
車なんて超高級品→大きい車は高級、金持ち

今にも通じるような、車やバイクのイメージが完成しつつありますが。

昭和で起こったモータリゼーション

戦後の復興で、自動車も大きな仕事をした存在であることは分かりました。

次は、その便利な乗り物を、誰でも買えるような車造りが始まることになります。そのために、排気量や大きさを制限した「軽自動車」という枠で、車が作られるようになるわけです。

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日本初量産軽自動車「鈴木自動車・スズライト」です。ドア2枚なので、現代的に言えば、スタイル的に見てもクーペになるでしょうか。でもどちらかというと、コミューターのような扱いで、コムスのような車のほうがイメージが近いような気がします。

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現在のように、普通に働いている人が買う車の起源は、この軽自動車が最初といっていいでしょう。こうやって、一般の家庭が車を買うという歴史がスタートして、モータリゼーションが起きる流れに乗っていきます。

モータリゼーションは、戦争からの復興で生まれた出来事といってもいいでしょう。しかしながら、戦争があったからこそ機械技術が劇的に進化したことも事実で、その技術の平和利用がモータリゼーションともいえますね。

とはいえ、ファミリーカーの最初は、小さくコンパクトで、走ることが1番に考えられた車という事がわかりました。車の基本は、やはり走ることですね。

昭和の中期から後期はどうなったのか

昭和の中期から後期になると、カローラや、スカイライン、クラウンなど、今でも売っている(最近まで売っていた)車の名前で、自動車が販売されるようになってきます。

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※wikiより引用(カローラ)

例えば、レンタカーでよくあるカローラですが、これは2ドア。他に、商用バン、4ドアモデルが登場します。

一般家庭での車購入を考えると、2ドアは趣味の問題として、商用バンは荷物を積んで仕事をするものだし、、、となれば、ファミリーカーが4ドア車という事になります。

こうやって、4ドア=セダンという事にすれば、「セダンは人が乗れて便利!」、「後ろも広くて快適!」、「トランクあるから荷物も積める!」となって、セダンが一般家庭に人気となるわけですね。

よくよく考えると、今のミニバン便利!というと大差ないのでは、「人がたくさん載れて」、「荷物が積めて」、「室内広々快適!」ってなにも変わってないじゃんと思うわけです。

昭和のワゴン、平成のRVブーム

昭和の頃に出来上がった、セダン=ファミリーカーは、ある車の登場で大きく変わっていきます。

RVに関しては、ジープ好きや、パジェロ、ランクルなど、どちらかと言えばミリタリー感があって、人気で好きな人も多いでしょう。

それとは別に、今まで仕事車のイメージだったワンボックスや、ワゴン車が、ファミリーカーの代表を迎えることになります。

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これが、ワゴンブームの火付け役となったレガシーで、力強いターボエンジン、運転席から車高を上下できたりした車両。

この辺りから、ファミリーカーの代表だった「セダン」から、「人がたくさん載れて」、「荷物が積めて」、「室内広々快適!」な、「ワンボックス」や「ワゴン車」にファミリーカーが移行していきます。

ただ、人口は急激に変化しないので、おじいちゃんがセダンに乗っていて、お父さんはワゴン車、なんてパターンが多く、急激にセダンが不人気というわけではないような気がします(徐々に人気が下がっていくタイプ)。

平成では何が起こったか?

昭和の末期から、平成初期にかけて、ワゴンやワンボックスがグングン力をつけてくると、自動車メーカーもそのタイプの車種を充実させようと考えるのは、とても自然だと思います。

そこで、北米などで人気だったボディタイプのミニバンが登場していきます。

そのミニバンの代表格となったのは、ホンダ・オデッセイでした。

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セダンに、荷物が積めるように後ろが伸びてワゴンになり、ワゴンが上にニュっと伸びた感じです。

これなら、ファミリーカーに求められる「人がたくさん載れて」、「荷物が積めて」、「室内広々快適!」を含んでいて、上位互換なので人気になる理由も分かります。

この頃には、おじいちゃんがワゴンで、お父さんがミニバンなんて家庭がふえていると思います。

ということは、セダンは長生きしたひーじいちゃんか、好きな人しか乗っていないことになり、だいぶ下火になってきてたのではないかと思います。

平成の終盤

平成の終盤になると、ノア、ヴォクシー、セレナなどファミリー人気のミニバンが出そろいます。そりゃ、メーカーは売れる車に力を入れて作るし、いいファミリーカーならたくさん売れるし、いいサイクルに入りますね。

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というわけで、メーカー内では何があったかというと、セダン、ワゴンは統廃合されていきます。

例えば、マークⅡ系は、兄弟社のチェイサー、クレスタとともにマークX、ヴェロッサになったり、ブルバード、サニーは、シルフィといった形で、種類を減らしていきます。

最近になって、スカイラインはセダンじゃなきゃとか、クラウンがSUVに!?というけど、諸先輩が買わなかったし、自分たちもあまり興味がなかったといえば、その通りだと思います。

それはメーカーが、売れないなら売れるようにしようとテコ入れする理由だと考えてもいいでしょう。結局、売れなければ赤字になるだけですから。

それにファミリーカーとして、「人がたくさん載れて」、「荷物が積めて」、「室内広々快適!」な上位にミニバンがある以上、セダンには新しい価値を求める必要があります。

今、セダンがどう変化してきているか

自動車ライター的に、今のセダンは、どちらかと言えば、4ドアクーペになってきていると感じています。

イメージとしては、2ドアが定番のスポーツカーを、4ドアにした感じ。変則的なものではRX-8がその妥協点で、BMW8シリーズや、アウディA7などはその代表格ではないでしょうか。

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※写真 アウディe-tron GT Concept

こうやって見ると、スポーティーでスタイリッシュでカッコイイと思います。

昔の、どうもオッチャンくさいセダンのイメージは、過去の両親や、その両親が乗っているというイメージからによるものですが、おじいシャンの車というイメージは、薄れてきました。

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個人的には、セダンが好きですが、ノーマルだとおじいちゃん感が抜けきらないんです。

まとめ

今回、自動車の歴史をたどることで、ファミリーカーがどういう風に扱われて、セダンがその中で人気が落ちていった理由を考えてみました。

そりゃそうだと思う部分がある反面、スポーティーセダンというジャンルでは、ツアラーや、ランエボ、WRX、セドグロ・グランツ、アコードなどなどたくさんあったはずが、日本のメーカーは何で人気があったのに残してくれなかったんだろうか。

確かに購買層の多くはミニバンやRVに流れたと思いますが、車種が統廃合してもいいから、後継は出してほしかったと思うばかりです。

メーカーのブレインに車好きが少なくなって、売り上げ優先になったことも原因だと思います。それを物語るのがトヨタのモリゾー社長の存在です。

トヨタは、モリゾー社長の存在で、スポーツカーなど、趣味性の強い車を復活させています。

つまり、それまでが利益優先感の高い車造りだったことによって、起きた出来事です。

音楽アーティストが音楽好きなように、モリゾー社長を筆頭に、車屋も車好きにやってほしいと思うばかりの今日この頃です。

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