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アニマルセラピー実行中 〜愛し愛されて令和編〜

アニマルセラピー初めました。
ただし、セラピーが目的で犬を飼い始めたのではない。
彼(犬)との出会いに、そこはかとない癒やしを感じたのだ。

彼と出会えたのは本当に奇跡である。

癒やしを求めてペットショップに行ききする内にペットショップで癒やしを求めている一頭の彼に出会ったのだ。

最初はただただガラス越しに眺めるだけだった。
そのうちに行動を観察し、鼻をすする仕草をすると、大抵の子犬は、落ち着いてウトウトして、やがて眠る事が分かってきた。
その中で特に、幾度に目がよく合い相性が抜群の彼がいた。

よく年頃の男が愛想が良い女性に勘違いする、「相思相愛かも知れない」
ビビッと来たのである。
スタッフの方に促してもらい、ガラス越しに見つめている地点から抜け出し、実際に彼を抱いてみて、それは確信に変わった。
彼は私を求め、私は彼を必要としているのだと。
私は鬱病の先にある確かな明かりを見つけた。

ペットを飼う中で、最も大事な事は寛容性、爾の嫌がる事は人に施すなかれである。
お互いの存在の尊重や相互の信頼関係がなければ、日々の生活は継続出来ない。
信頼関係が無ければ、抱っこも出来ないし、させてもらえないのだ。

しかし彼と仲良くなって最大の試練が訪れる事になる。

彼を家族にする事について、家族の猛反対に遭うのだ。

結果、私と彼は一緒に住む事になる。二人きりで。
愛犬と駆け落ちである。

人同士ですら分かりあえない。でも犬となら分かり合えるかも知れない。
もう生きていたくないと思ったとしても愛犬がいる。それだけで行きていられる。
抱っこ紐を通して胸と胸を合わせると少し早い彼の鼓動を感じるのだ。一緒に生きようと思える。
吾輩、齢40数年を経て独り身にて鬱病発病中。生涯の伴侶も得られず、このまま生涯を終えるだろう。

さて、逆に愛犬が鬱病になった場合はどうしたらいいのか。
わが愛犬は突如、謎の不調を来してしまったのだ。
全身が強張り、震えて目は虚ろで立ってもフラフラとしている。頭は下げたままでいつもの元気がなく、食欲もなくなった。いつもは尻尾を振り、駆け寄って来てくれたが、ケージで寝て出たがらなくなった。
だが、散歩は勿論、ケージですら用を足せない愛犬を毎日散歩させて、用を足させ、帰るのは断腸の思いだった。

その前に、しきりにクシャミをしていたのが気になり病院で抗生物質を処方していただいたが、相変わらず元気がなく目に力がない。再び病院に行くと、脳か神経系統に問題があるかも知れないとの事であった。
飼い主も鬱治療中、愛犬も鬱状態。最大の危機である。

これには参った。行きつけの病院で、脳・神経系の病院を紹介していただき、すぐに診察していただいた。

「恐らく首の神経に痛みを感じている為、首が上げられず、行動に難を来しているのでは」
との診断だった。

直ぐに痛み止めを出していただき服用し、効果が見られなければMRI、CT検査を実施する事になった。

検査の結果、愛犬は脊椎空洞症である事が判明した。
頚椎ではなく、背骨付近の脊椎に髄液が溜まっているのが画像から観られた。
これはレントゲン写真や外観からは分からない先天性の病気である。
わが愛犬のMRIやCTの画像を観ながら先生の説明を聞くうちに悲しみとともに愛犬に対する愛しさがこみ上げてきた。
この病気が分からなければ見る事も無かったであろう愛犬の内部。
何とか治してやりたい。例え治らなくても少しでも痛みを緩和してやり、伴に寄り添いたいと強く思ったのだ。

愛犬は、かけがえのない家族である。
喜怒哀楽も生活も常に共にある。

愛犬の病気を知ってから、散歩や移動の際にどうすれば痛くないかを考える様になったし無理をさせない様に特に気をつける様になった。
抱っこ紐は平行移動出来る様な仕様にし、首輪からハーネスに変えた。

幸い、今の薬が効いており痛みを軽減出来ているし再び元気を取り戻した。

そして奇跡は起きた!ついに愛犬の治療薬をゼロに出来たのだ!
今後は様子見だが、今のところ順調である。
次は私が薬から卒業する番である。

散歩の時は、私も愛犬と共に散歩を全身で楽しむ。
オキシトシン1000倍である。
愛犬は好奇心が犬1倍旺盛で色々なワンコと仲良く出来る才能を持っている。
一方、何故か私もワンコにモテる。人間の女性には全くモテないがワンコには俄然モテる。他のワンコの相手をしすぎて、わが愛犬に嫉妬される事度々である。

我が愛犬の散歩は几帳面である。あちこちの匂いを念入りにチェックして色々なワンコの情報収集をする。さながら探偵である。
几帳面という部分は私も共通である。というかあまりにも似通う性格同士である。

意思疎通が出来た場合は、大きな目から涙がポロッと溢れる。こちらもホロリと涙が滲む。
水が欲しくなれば、こちらをふと見てアイコンタクトをする。たまにただ見ているだけの時など空振りもあるのだが。

愛犬と生活する様になって二十年間止められなかった酒を止められた。鬱病の薬と酒の併用は薬の効果を強めるだけでなく、時には悲惨な結果をもたらす。脳への影響も懸念される。そんな中、禁酒断酒出来た事は大きな進歩だった。

癒やしを愛犬から得られる事で他に頼る必要がなくなり心の痛みが軽減されたのだ。
不安やストレスから酒へ逃げる依存症から開放されたのだ。

自己肯定感を得られたのも大きい。自分はこの世に必要ではないのでは無いかという無力感を感じる事もある中で、かけがえのない、自分の伴侶、息子ともいえる愛犬に出会えた事で自分の居場所を見つけた。
愛犬と一緒なら熟睡出来る。愛犬も熟睡出来るみたいだ。

僕は死んだら愛犬と同じ場所に眠るだろうな。きっと。
愛犬も死んだら僕と同じ場所で眠って欲しいな。

かけがえのない愛犬との一日、一時間一分一秒は限られた時間への愛惜の時間である。
癒やしてくれた今日の一日、どれだけ愛犬にお返し出来ただろう?
スマホを眺めていると「僕達に残された時間は多くないよ」と愛犬が目で訴えるのだ。真剣に向き合い生きなければ。

そして愛犬に気管虚脱の病気が見つかった。