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校則改正のおもいで① ~主権者教育編~

今回は校則改正について語っていきましょう。この件に関しては一家言あります。

なんせ私、とある私立高校において、2023年度にガチで校則改正を行いましたから。校則改正っていろんな立場の方が意見表明していますが、そのほとんどは実際に行ったわけではないですよね。私はめちゃんこ苦労しましたけどリアルにやってますから。格別な説得力があるよね。

なんで、私がこの件の記録を公開すればいろんな方の参考になるだろうなあと思っていたのですが、どうしてもそれって勤務校の内部事情を語らねばならないところもあり、守秘義務もありますので、ぼかすのに苦慮します。つまり実体験だからこそ言えない。言いにくい。言える範囲を制限して、抽象化して説明していくしかないのです。

どうか、そんな込み入った事情をふまえた上で読み進めてください。

生徒は反対しないが教員は反対する

大方の予想通りです。校則改正を行う際に、生徒は反対しませんでしたが、教員は反対しました。

学校関係者じゃなくとも、誰かが校則改正を提案したらこのような構図になることは想像に難くないでしょう。校則改正において、実務上、最大の難点は、悲しいかな同僚である教員を説得するところでした。

たぶん多くの学校の社会科(公民科)教員なんかは、校則改正をすべきと論理的に理解はしているけれども、これ(教員の反発)が面倒くさくてやってないのだと思います。そんな感じでくすぶっている教員が世の中にたくさんいると思います。

気持ちはわかります。実際、面倒くさかったですから。

くりかえしますが、最大の難所は教員の説得です。そこが乗り越えられそうならやるべきというのが私の結論です。

改正するにはどうすればいいか決まってない

順を追って説明しましょう。校則改正を検討し始めたとき、最初に問題となるのは、改正に関するルールが存在しないことです。

法律は不断に見直されるものですが、それはどのようなプロセスに則れば改正できるかが決まっているから可能なのです。しかし校則というものはしょせん法律もどきで、最初に作った段階でどうすれば改正できるかというものが決まっていないという、そんな不備を抱えた状態にあります。

となると、生徒がどれだけ校則を変えたいと訴え出ても変える手段がありません。法律の下っ端のくせして変えられない謎のやつ、それが校則です。

そこで、校則改正をする上で必須となるのが、学校長の意向です。

校長が世の中の動きに敏感で、組織のルールは常に見直し続けるべきものだということを理解していなければ、校則改正の動きそのものが発生しません。ありていにいって、校長が乗り気でなければ不可能です。

幸いなことに、まともな校長であれば校則改正には前向きです。なぜならばこの動きはトップダウン(学校よりもっと大きいところからの動き)だからです。

2022年から2023年に、生徒指導提要の12年ぶりの改訂、こども基本法の成立がありました。文部科学省だったりこども家庭庁だったりのお達しで、校則改正へのインセンティブが働いています。(もっというとその背後には国連の児童の権利条約関係の委員会の意向がありそうなんですが、そこまでは深入りしません。)

学校教育法で定められたちゃんとした学校(一条校)は、この生徒指導提要の改訂を受けて自校のルールを見直す必要があります。上からの動き(トップダウン)ですから、「ヨソはヨソ、ウチはウチ」というロジックは通用しません。その辺りの感覚は、校長職に就くほどの人物であればほとんどの方が共有しています。

もう一つ、このバックグラウンドに、メディアを通じたブラック校則批判の盛り上がりがあります。誰だって社会から悪者扱いされたくないですから、ブラック校則の報道が広まると、学校として自校の校則に児童・生徒の人権侵害にあたる隙がないかを精査する必要に迫られました。

こうした経緯により、まともな感覚をもっていれば、リスク管理の観点から、校則改正に前向きなはずです。校長はね。

ですので、校則改正を持ちかけて、校長を味方につけることはさほど難しくないです。わりとあっさりいけますよ。いけないならその学校のガバナンスに問題あると思っていいくらいです。

ですが、もっと面倒なのは同僚である教員を納得させることです。

私、正直、すごく辛い思いでこの文章書いてます。なんで同僚を悪く言わねばならんのか。同僚たちが校長と同じくらい視野が広ければ、それで終わる話だと思うんですよね。だってやるべきなんですから。

なんで反対されるんでしょう。

教員たちは日々の業務に追われる中、視野が狭くなってしまい、もっと大きな動きに目を向けられなくなっている。そういえば聞こえはいいですが、なんかそれも美化しすぎな気がするな。悪いけど、クリティカルシンキングを教える側なのに自身にその思考法が身についていないだけじゃないかって気もします。こんなこと書くと嫌われそうだけど。

まあ愚痴っても仕方ないんで話進めます。

先ほど述べた通り、校則は法律もどきなんですが、もどきである要因の一つは、改正のプロセスが明示されてないこと。その一点のみでも校則改正はなされるべきです。

つまり、文面は何一つ変えないとしても改正はすべきです。改正して、今後の改正のプロセスを明記することと、そこにステークホルダーである生徒の意思を尊重する旨を加えるだけでも大きな意味がありますから。

先ほど触れた生徒指導提要の改訂版では、生徒が校則改正に主体的にかかわることを推奨しています。このような動きが起きている以上、校則を見直さないことは国の方針に逆らっているといっても過言ではありません。

校則改正の動きがあるか否かは、当該学校のガバナンスを測る上での大事な指標の一つだといえるので、生徒や保護者には学校選びの参考にしてほしいなとも思います。

つまらないですけれども、ここまでが背景の説明です。

校則改正は最強の主権者教育

そこで今回の本題へ。主権者教育の観点から校則改正の意義を考えていきます。

主権者教育って言葉は一見スゴそうですが、何のことはない、生徒を政治参加させましょうって話です。

投票に行きましょう、立候補しましょう、政治的関心をもちましょう。民主主義国家である日本ですが、若年層の投票率が低いことが問題視されていますので(実際めちゃくちゃ致命的な問題だと思いますが)、その辺なんとかしようぜという動きですね。

2022年から成年年齢が18才に引き下げられました。高校3年の在学中に多くの生徒は成人になって、投票権が得られるわけです。主権者教育というと、その際に投票権を行使しましょう、つまり選挙に行きましょうといった呼びかけをするのが一般的です。

18才選挙権なんていって、この議論が盛り上がった際には、模擬選挙という行事を実施する学校が多かったです。実際の選挙に関わる前に擬似的に選挙を行おうというものです。自治体の選挙管理委員会も出張ってくれたりするんですが、個人的にはくだらないと思っていました。

だって、学校には生徒会の役員選挙というものがすでにあるじゃないですか。そのときに選挙の意義とか、重要性とか、手法は学んでいるはずじゃないですか。それがちゃんと機能すれば十分でしょう。

もしそうなっていないっていうんなら、生徒会選挙が信任投票ばっかりとかで有名無実化しているので、そのことが問題です。模擬選挙の前にそこを変えなきゃいけないんじゃないでしょうか。(信任投票ばかりで、誰も生徒会役員をやりたがらない学校は、生徒会役員に大きな役割を与えていないことが問題です。生徒主導で学校を変えるという道筋を示していないから、意義を感じなくて誰も立候補しないんですよ。)

これに限らず、旧来の主権者教育の試みは、「一応やったよ」という体裁を整えるだけのものに感じられていました。あまり具体的な中身がなく、ただ選挙に行きましょうと連呼しているだけの印象です。そんなんじゃ「わざわざ休日に時間潰してまで選挙いきたくねえ」って判断されるだけです。

そのことに違和感が拭えない中での、2022年の生徒指導提要の改訂です。主権者教育の目的とは、民主主義国家で暮らす国民として、政治を「自分ごと」として捉えること。「自分ごと」とは自分の生活に密着しているからアクションを起こさなきゃっていう切迫感のことです。一気に視界が開けました。

あ、わかった。主権者教育って、はっきりいって校則改正一つで充分なんだと私は確信しました。

なぜなら校則は、生徒にとって日々の生活の不満の蓄積そのものです。ですが、自分の好きなように変えたくとも、そう一筋縄にはいかない。そこには様々な利害関係があって、調整する必要がある。それを自分たちで議論して作り変えていくという経験は、刺激的という言葉では足りないほどありありとした「政治」の体現だからです。

学習指導要領の改訂により、高校の公民科で現代社会といわれていた科目が公共という科目に変わりました。なんにせよ、古くからそうした事柄が科目として教えられています。ただ残念なことに、そこではルールを教えているのみです。「自分ごと」と捉えるための仕掛けがない。

一方、校則改正はそれを体感することができます。法律の制定も国家予算の承認も、自分ごとと捉えるのは難しいものですが、実際に校則改正というルール作りとそれに応じた変化の経験があれば、それらもとらえやすくなるでしょう。

単に多数決の投票だけでなくて、公聴会とか、ロビイングとか、いろんな政治活動の在り方を経験できます。そして校則の文面を作って推敲していくところは、ロジカルシンキングをひたすら続ける訓練のようでした。

校則改正を始めたときの手ごたえはマジですごかった。「あ、おれ、公民生んでるな」と感じました。何そのナゾ感情ってかんじですけど。

校則改正の動きが広まれば、長年の課題であった若年層の低投票率も解決できるかもしれません。

日本の皆さんが本気で若者の投票率を上げたいと思っているのならば、彼らが投票権を得る前に、それに類するガチの体験を少しでもさせてあげるべきではないでしょうか。

生徒主導で校則改正するべきです。

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