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人間を安売りし過ぎな気がする。

私たちの現実生活は、自分を傷つけ、人を傷つけ、自然を踏みつけ、地球の生態系を破壊し、欲望という名の快楽を貪り続けています。
自分の生活そのものが問題だとは思えないのです。
そのことがのっぴきならない問題となるためには、身を煩い、心を悩ませる生活の作り出す自らの不正、矛盾、歪みに向き合うことが必要なのです。
それは他者と共に生きる自分、世界と共に在る自分に目を覚ますことです。

            尾畑文正


昨日、車のを運転中、ラジオからチャーと福山雅治の声が流れてきた。

う〜ん。。。どうも、わたしは、チャーと福山の話し声があまし好きではないようだ。
嫌いなわけではないし、2人とも低音でいい声だな、とは思うのだが、耳に入らないというか、ピンとこないというか、しみてこない。

だから、なんだってわけではないが、声の好き嫌い、やっぱ、結構あるな、と。

似たような声でも、好きな声と苦手な声もあるし、基本高音で耳につく舌足らずのような声は嫌いなのだが、たまにそれなのに「いい!こいつの声も喋り方もいい!好き!」て、こともあったりする。

で、チャーと福山雅治の場合は、ギリ好きになれないって感じ。

ま、それでも自分自身の声よりはずっと心地いいんだけどね。

いっちゃん嫌いな声は自分の声だ。
聴きたくない。
だから基本、ビデオにしろ、録音にしろ、自分の声が入っているものは出来得る限り見ない聴かないようにしている。

それでもどうしても、チェックのために、録画されたり録音された自分の声を聴かないわけにはいかないこともある。
地獄だね。
気持ち悪ぅ〜〜〜。
ジョイマンの「なんだぁ、こいつ〜〜〜」って感じだ。

で、今朝はユージがラジオで話してた。
うん、この声は、まぁ、好きでも嫌いでも苦手でもないな、って感じだった。
だから、逆にそこで語られたことに対して考えさせてもらえた。
好きすぎても、合わなくても、その声につられてしまうが、耳についてどこかその声に意識がいきがちだが、ユージさんの声は自分にとってなんもないので、そこで語られたことに集中できたりするようだ。

そこではファミマのデジタル化について語られていた。

デジタル化の進歩によって、すでに一部の店舗では、買ったものをすべて客が出口で自動精算するシステムが出来上がっているということ。

アチャコチャにカメラやらなんやらを設置し、客が手に取ったのを確認し、コンピューターがその客が何を手に取ったかをすべて確認し、出口で精算するシステムで、それにより、店舗の無人化、また、小規模な店舗の出店化ができるということらしい。

うまく説明できないので、詳しくはこちらを。

で、これを聞いていて、いや凄いなとは思うけど、従業員の確保が大変なのはわかるけど、これって、ますます人間が自分で自分の首を絞める事にならないかな、とそんなことを思った。

ファミマが悪いということではない。

社会システムとして、利便性をもとめたり、効率を求めたりするのはいいけど、そこにばかり目を向けていると、本当に人間は必要なくなるよね。

電子頭脳やロボットのほうが確実に優秀だし正確だしね。

このファミマでも、搬入や商品の陳列などの作業をするのに最低一人の人間は必要とファミマの担当者が話していたが、そのうち、それもロボットができるように成れば、全く人間は必要なくなるわけだ。

で、なんで、いくら募集しても人が足りない状況が続いているかと考えると、この国の社会システムの劣悪さのせいだと思う。

そこを改善することのほうが、より住みやすい社会になると思うんだけどなぁ。

まずは、最低賃金が安すぎる。
30年間、大卒の初任給が殆ど変わっていないって、ありえないでしょ。
物価3倍になってんのに。

それと、職業差別。
「コンビニの店員なんて大学卒業して就くような仕事じゃない」なんてことを思えてしまうような社会がおかしんだよね。
スーパーの店員であろうが、百貨店の店員であろうが、大手不動産の店員であろうが、モノを販売して、顧客に満足してもらうという点では同じなのだから、大卒だろうが高卒だろうが中卒だろうが、本来は胸張って働けばいいのだけど、現実はどうも違う。
これは、どう考えて社会システムのほうがおかしい。
そう考えてしまうような、思えてしまうような現状のほうが異常だと思う。

これも、小泉純一郎・竹中平蔵がテメェらの利益だけを考えて、「痛みを伴う改革」とかぬかして、正規雇用を極端に減らして、何でもかんでも民営化にして、国の責任を回避する、会社も雇用者への責任を極力回避する、そんな腐れたシステムを作りやがったせいだと思う。

会社経営のことは全くの門外漢だけど、そんな自分でもおかしいと思えてしまうのだから、そこで働く人達はもっと怒っていいんじゃないかなぁ。
ストを起こすとか。。。

たとえばさ、Aというコンビニがあって、そこで正規社員として雇用し、きちっと給与もいろいろな保証も確保されて、コンビニA〇〇店の販売促進員として送り込まれる。〇〇店には店長1名・副店長2名と販売促進員として送り込まれた店員2名、そして、パート・バイトの人が3名いたとする。
販売促進員として送り込まれた人は、そこでバイトの人と同じことをするにしても、本部から送り込まれ、固定給をもらい、その会社の屋台骨をさせているという自負があるだろうから、きちっと仕事をせざるを得ない。
、これ、ちゃんとした状態で仕事ができるという前提でね、ハラスメントとかない、固定給もけっこうよくて、休みもきちっと取れる。
そんな感じで正社員が働いていれば、バイトの人も、パートの人も、そこで働いていることに誇りとまでは言わないけれど、意義みたいのは感じやすくなるんじゃないかな。
人間って、結局は意味付けで生きているいきもんだし。
また、一流大学出だろうが、そこで働くことを恥ずかしく思う、そんなクソツマラナイ一文の得にもならないプライドも持たずに済むような社会になってくるんじゃないかな。

甘い?

ま、そんなうまくはいかないかもだけどさ、でも、もう少し、自分が生きやすくするためには、人間が生かされるには、社会のシステムがどうなったらいいのかを考えたほうがいいのではないかなと思う。

ま、現実的なことで言えば、海外から日本にきて働いている人々も含め、社会的弱者も含め、外国人技能実習生も含め、当然、日本人も含め、仕事と物価に見合った給与を支払うような、一部の企業と人間だけが肥え太るような社会システムを変える必要があるんじゃないかな。
つまり、最低賃金を全般的に上げろ!ってことかな。


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