石神井公園 2023.06.17

画像1 「生かされている私」であったと目覚めたけれども、その途端に、その目覚めたとおりには生きていない自己の現実があきらかになるのです。 目覚めてもなお、「私が生きている」という自我の煩悩によって束縛され続けている自身が問題となっていくわけです。 目覚めたがために、仏弟子たちの修行はそこから始まるのです。 ー小川一乘 著『「私」をあきらかにする仏教 真宗教育シリーズ』(真宗文庫)よりー

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?