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距離感

他者と切り離された、世界と切り離された、閉鎖的な実体として存在するのではなくして、縁起、つまり、因縁の生起として、あらゆる存在との相対的なつながりのなかで生きている。

           尾畑文正


科学が発達し、便利になり、世界中の人々と実際に会うことが容易になった。

そして、互いの距離は縮まった?

でも、このコロナのお陰で、実は思いも知れないところでみな繋がっているのだという事実を突きつけられた。

おそらく、100年前だったら、今回のように世界的な感染とはならなかったよね。
飛行機で世界のどにでも行けると思えるようになった現在では、時間を敢えて掛けて船で世界をめぐるという行為も、昔とは違い、とんでもな秘境へ行くという感覚もなく、身近になっているだろう、確実に、

昔は、渡り鳥や、ごくごく一部の専門の職業の人々が海外へ持ち出していたウィルスも、いまでは人間が普通に持ち出すようになった。

ある場所で、新たな伝染性の病が流行りだす。
それがその場所で蔓延し、新たな病だと認められる前に今の世界では、すでに世界中から人が来て、その感染症を体内に保持し帰っていく。
発見した頃には、世界中に広まる。

別段、恐ろしいあり得ないはなしではない。

当然のことだ。

国内も交通の便が良くなり近くなった。

江戸時代であれば、東京〜大阪は2〜3週間掛かる命がけの旅だった。
江戸から練馬村までも一泊するような世界だ。
江戸から練馬に来る人も、練馬から江戸へ行く人も、殆どいなかったと言っても大げさじゃないだろう。往復40キロ。今ほど明るい路もない。夜は一寸先も見えない。そこを徒歩で行くのだから、とんでもなくハードな世界だ。

例えば練馬村で何らかの伝染病が発生したとしても、江戸(中央区とか千代田区)にその病が広まる小可能性は、コロナが世界中に広まったよりも確立は低かったのではないかな。

いま、世界中、どこへ行くにしても、練馬から江戸へいくよりも、ましてや大阪へ行くよりも、近場に行く感であるだろう。

感覚の問題って結構大事だと思う。

気楽に世界中をみなが行き来し渡り鳥よりも早く、それも人間に適したウィルスを保持して帰る。

今回のコロナウィルスの世界蔓延はなるべくしてなったことであり、不思議でもなんでも無いのかも知れない。

発生元なんてさほど問題ないと思える。
これからは、そういう世界になったのだから、日本の練馬で発生したウィルスが、一週間後には世界中で徐々に増殖されている、なんてことは当たり前にありえる。

それくらい、世界は感覚的に近くなった。

仏教では、地球の裏側で子供が生まれたこと、誰かが亡くなったこと、誰かが食事をしたこと、食事ができなかったこと、恋をしたこと、失恋したこと、涙したこと、思ったこと、願ったこと、一切合切が無縁ではなく、わたしをわたしたらしめる一大事だと捉えている。

でも、そんなことは知識や理念を無理やりこじつけて、屁理屈並べて妄想はできるが、実感はわかない。

でも、コロナは教えてくれた、繋がっているよ、って。

でもさ、便利で行き来できるようになって、世界中が近くなって、インターネットのお陰でいよいよ距離感がなくなって、すごいよね。

オレは否定しないよ。
オレが否定したところで関係ないしね。
それに、そうなった以上、便利で助かることはいっぱいあるしね。

今年、法事で、いろいろなところにいる人が、SNSを使って(LINEやZOOMなど)参加していたよ。
もう、足が悪いので参加できないと思っていた、というおばあちゃんが、弟さんに当たる人の法事に参加ができたと喜んでいた。
たしか、新潟の方だった。
2月に海外に仕事で行って、日本でも緊急事態宣言が発令され、渡航先でも閉じこもるっているしかない状態で、日本に帰ってこれなくなった方も、奥さんの法事に参加ができたと涙流していた。

そういういい面はたくさんあるしね。

ますます世界どころか、宇宙も近くなってくるでしょ、これから。

だったらさ、ま、お互いに感染症対策というのは心してやっていくとしても、世界が宇宙が、行き来する距離がどんどん縮まってきているんだからさ、それに反比例ではなくて、比例して、互いの、人間同士の距離も縮めようや。

いよいよ人間同士の距離は広がっている。

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