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旅の途中に思う。

臨終一念の夕(ゆうべ)
大般涅槃を超証す
       親鸞

死は自分にとって、自分が自分であることを果たし得た(完全燃焼)こと、生まれたことを果たし遂げたことだ。

          池田勇諦


やばかった。

完全に落ちた。

一週間で立ち直った。

別に体の調子が悪かったわけではない。
精神的に落ちたわけでもない。

なんか、だり〜。

で、一週間、写真を撮り歩くのも、ましてや文章を打つことなんてこと、全くやる気が失せた。

ただ、やる気が失せた時期が良かった。

秋口。
わたしの好きな落ち葉や紅葉の季節がいよいよ。
間もなく、彼岸花を始め秋の花も咲き出す。
公園の景色も刻々と移り変わろうとしている。
散歩の人々の服装も変りつつある。

一週間で、また写真を撮り歩きたい、って気がほんのちょっとだけだが戻ってきた。

前回、サボった時は3〜4ヶ月かかった、立ち上がるのに。

そう考えると、今回は実に早い復帰だ。

ただ、問題なのは、そうは言っても今ひとつ乗り切れていない気分がある。
下手したら明日にでもまたドロップアウトしそうな気もしないでもない。

ま、その時はその時だ。
やらにゃならんわけでもなし。

で、この一週間、何かと色々あったのだと思う。
思うが、思い出せん。
ネタが色々と増えているかなと思っているのだが、全く思いつかない。

つまり通常営業ってことだな。

何かに憤り、何かび感じ入り、何かに迷惑し、何かに喜び、何かに感動し、何かに考えさせられ、そのいちいちに反省・歎異・悲嘆・自戒し、そのいちいちを無駄にするかと足掻いて生活してきたのだろう。

無駄な時間も無駄にしてたまるかともがいているのはいつものことだ。

この面倒くさい性格のお陰で、ダラ〜と過ごした日でも、何かしら大事な時間を過ごしたんだという言い訳もできてしまったりする。

で、いまそうした言い訳がましい思いが湧いた瞬間、これじゃ菅義偉内閣総理大臣の自画自賛の昨日の会見といっしょじゃん😭、と、おもいっきし自分が嫌になったりもした。

生きるってのは面倒くさいね。
好きな人間もいるけど、大半は嫌いな人間のような気がしてしまう。
そうした人間のほうが目につく鼻につくからね。
でも、その人々ともいっしょにやっていかなきゃならない。
好き嫌いでは済まない。
何一つ思い通りにはならないんじゃねぇか。なんて思ってしまうことも儘ある。
思い通りにそれなりにいっている時は、別段何も感じてないのだろう、当たり前だと思えて。
それだけに思い通りにならない時が異様に気になってしまうようだ。

こうしたことの繰り返しが人間として生きることなのだろう。

それが面倒なんだけど、それがないとクソツマラナイ人生に成るのじゃないかな?なんて思えるのも不思議だ。

なるべく辛いことは避けたい。
できるだけ楽な道をいつも模索している。
どうすれば手を抜けるかを真面目に考えてもいたりする。

でも、それを考えれば考えるほど、手を抜くことの怖さが先に立ち、結果、めんどくさい道を選んでいて、きついなぁ〜、とぼやきながら歩いていることのほうが多い気がする。

それでいいかな、オレは。

そのほうが性に合っているのだろうし、そうでないと落ち着かない、満たされない、そんな性格なのだろうから。

ともかく、今日は久々に写真を撮って、文章を打っている。

活字も久々に読んでいるな。

サボっている自分も、こうして無理にでもスイッチを入れてみようかなとあがいている自分も、調子こいて周り見ないで走り出しちゃう自分も、ひっくるめてわたしであることには違いない。
生まれて、自我が身についてから全く変わらず頑固な自分と、周りに影響されて変りまくっている自分と、いろんな自分に出会えるのだから、この人生という七面倒臭い旅も悪くはないようだ。

能天気にまだ死なないと思っているようだし、いや、まだではなくずっとかな?、ともかく、自分は死ぬ直前まで死なないと思いこんでいるようだし、それまでせいぜい傍から見たら悪あがきにしか見えなかったとしても、この旅を満喫してやろうとは思っている。

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