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どちらもあり。

私たちは理性・分別がなければ生きていけない。
理性・分別によって倫理や道徳などが成り立っている。
しかし、分別によって、分別を超えることは絶対にできない。
なぜならば、分別は自我に基づいたものであり、自我が自我自身を否定することはできないからである。

            小川一乘


昨日、一回目のワクチンを接種してきた。

最寄りの、いつも掛かっている街の医院での接種。

注射を打つのが上手なのは昔から知っているし、自分の体質や病歴もよく知っていてくれている先生なので、安心して打ってきた。

仕事が、蔓延していようが、緊急事態宣言が発令されていようが、まんえん防止措置条例が発令されていようが、人と会い、接し、対話をし、声を出す仕事なので、できることはやるようにしている。

ワクチン接種の是非という話も、欧米の人の体質に合ったものではなく日本人に合ったものがあと半年くらいで出来るかもしれないというのも知ってはいるが、やっぱ、それを待ってはいられないなと。

ま、副反応が出たとしても、熱が出るか、肩が上がらなくなるかくらいだろうと高を括ってのトライだった。
アナフィラキシーは、もともとアレルギー体質でもないので大丈夫という自分勝手な思い込み込みでのトライ。

結果、なんともなかった。

腕も上がるし、どこも痛くならないし。

ただ、因果関係はわからないが、前日のゆったり湯船で代謝があがっていたこととワクチン接種のなんらかの関係かもしれないが、妙に元気になっちゃって、目が冴えちゃって、眠れなくて、また寝不足状態だ。

明け方にようやく眠気が少しきたので、ちょいとは寝たけど。

2回目の前日は、シャワーのみにしておこう。
あまり代謝上げるとよくないのかもしれないな、と。

今日はなにも予定を入れていなかったのでダラーと過ごしているのだが、昨夜のわたしは遠足前日の子供のようだった、意味なくワクワクしているような感じの眠れなさ。

ワクチン、米国製だから、アメリカンになっちゃったんかな😅

今日こそ、ぐっすりと寝たいので、今は昼寝せんように、寝落ちないように、朝から眠気と戦っている😆

そういえば、友人に何名かアレルギー体質の人がいる。

そのうちの数名は人と交わる仕事をしている。

やはり、怖いけどワクチンを打たないわけにはいかないようだ。

前々から約束していたので、そのうちの一人と昨夜食事をした。
ここまで、問題なかったのだから、安全なものが出てからにできないのか?と、聞いたのだが、彼は、そうもいかない、と答えた。

「ほら、ワクチン接種証明書みたいのが発行されるじゃん。それがないと、だめになるんだよね、もうすぐ」

ということらしい。
会社でも、体質や持病に関わることなので無理は言えないが、できるならなるべく早く受けてほしいということで、善処して欲しい、ということらしい。

「会社が、義務的に上から言ってきたなら、たぶん性格的にふざけんな、ってなるんだけどね、すんげぇ、気遣ってくれてんのよ。で、主治医や専門の医師が止めておいたほうがというのなら絶対に打つな、とまで言ってくれてるしさ」

と苦笑いしてた。

「うまく会社に乗せられてんじゃねぇのか?」
「社長も専務も会社一歩でたらダチだし😅」
「そうだったな」

そんなかんじだ。

要は、対外的なことが大きいようだ、本人はそこまで言わなかったけど。

どこかでワクチン差別を警戒しているんだろうな。

当然だ。
この国の人間性は、簡単にそちらに流れるやつが多い。

それが接客業、店やタクシーや宅配やスーパーやコンビニなんかだと、ワクチン証明証を持ってないと平気で嫌がらせや絡まれそうな気がする、と思うのも致し方がない。
自分の正義を大上段に振りかざして他者を叩くのが好きな人間がいるからね。

考えちゃうよね。

コロナ差別、ワクチン差別。

いままで、ハンセン病、水俣病、原発事故、などで同じような過ちをひたすら続けてきたのに、新たな差別対象者を待っていたかのように平気で叩く。
阻害する、

本当に反省ができない、過去に学ぶことができない生き物だな、人間てのは。

そりゃ、戦争がなくならないわけだ。

ともかく、コロナウィルスに罹患した人や、ワクチンを打たないと判断した人、打てない体質の人、そうした人々に対して、コンマ1ミリでも阻害するような方に気持ちが揺れたら、恥よう、自分を。
分別心はなくせないし、差別心はなくせないことをしっかりうけとめて、そんな自分を恥じるようにしよう。

他者を差別することに、おのれの分別心で周りが見えなくなるそんな自分に対しての羞恥心がなくなれば、それは本当に恥ずかしく、情けないことだと思う。

ワクチン、打つ、打たないは、慎重に検討したらいいよ。

反逆心で打たない、とか、みんなが打つから打つ、ではなくて、最終的には、
「打たないより打ったほうが安心な気がする」
「副反応や後遺症のほうが怖い気がする」
そんな、自分の判断で決められる環境なら、そういうところで決めるに越したことはないと思う。

で、わたしは、3週間後に2回目を打つ。

わたしは、そっちのほうが安心して暮らせるタイプの気がしている。

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