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猜疑心を自分にむけろ。

世の中にはもはや懷疑する力を失ってしまった教養人、あるいはいちど懷疑的になるともはや何等方法的に考えることのできぬ教養人が多いのである。

             三木清


でもって、今の日本は、一億総教養人なわけだ。

つまりなんも考えられない、疑問を持てない、与えられたものをただ知っているだけの教養人と、ひとの話を聞けない、一方向でしか物事を見ることができない、自分と違う思考の人間を恐怖にしか思えない臆病な教養人で溢れかえっているということだ。

それでも、ちょっと今のわたしはなんも考えられていない教養人かも?今のわたしは人の話を恐怖に感じている臆病な教養人かも?と感じられる、自らへの猜疑心を持っている人間がまだいるから救いようは若干あるのだろう、いまのうちなら。

だいたい、物知りさんにろくなやつはいない。

いや、本当にその道を極めたり、経験に裏打ちされた、身についた知識に裏付けられた、本当の知識を持つ人のことではない。
物知りさんは、その道、その分野とは関係なく、テレビやネットや本や噂話なんぞで仕入れた情報をひけらかし、それに惑わされ、それに酔わされ、いいようにかき回されているような、自分が物知りさんであることが嬉しくてしようがないような人間のことを言っている。

つまり今のわたしでもある。

物知りさんは恥ずかしい。

ださい。

だから、物知りさんは視線が気になってしようがない。

あいつオレをダサいと思ってんな!
バカだと嘲笑ってんな!
と、怒りまくっている。

物知りさんは、実は自信がないので徒党を組んで、同じ方向の否定をしない、傷の舐め合いができる、互いに「そうそう!そこに気づくって、きみ、すごいよねぇ〜」と褒めちぎりあって、クソ気持ち悪いエセ友情を頼りに生きている。

そんな物知りさん集合体は、少しの異質も許さない。
秩序が乱れて集合体が簡単に崩壊してしまい、せっかくの心地いい居場所がなくなっちゃうからだ。

だから物知りさんは、何でも自分たちに都合のいいように捏造するし、汚点は覆い隠すし、失敗はなかったことにする。

そして、いよいよ物知りさんの世界はどんよりと打ち沈み、息苦しく、耐え難い腐臭を放つようになる。
でも、中の人間は誰もそれを言わない、感じないことにする。
ここでもなかったこと、見なかったこと、聞かなかったこと、事なかれ主義、感受性ゼロ主義、呆けた人間ばんざい主義が生きる。
必死にみんなで外からの情報を遮断することに、否定することに躍起になる。

そして外から省かれる。

外の小賢しい人間は、いかにも「君たちは正しいよ。僕らは仲間だよ」と友達ヅラをして、その物知りさん集団をコントロールする。
「あいつら、持ち上げときゃ何でもするし。原爆を運んどいて、って言えば、どんな危険地帯にでも運んでくれるようにルール作ってくれるくらいだし。こないだなんて、原爆落とされて被害受けたくせに、うちらは原爆反対に反対だなぁ〜、て伝えたら、一緒になって原爆反対運動に反対してくれちゃったし😆」
こんなかんじだな。

もういいかげん、物知りさんであることを恥じなければ。

物知りさんはもう今更やめられないんだと思う。

なんせ、ほっておいても勝手に知りたくもないのに知らされちゃうから。
知っちゃうと、それをひけらかしたくなるのが人間だから。
それをひけらかすのが正義だと優しさだと勘違いしまくるのが人間だから。

だから、ひけらかしたら恥じなきゃ。

物を知ったあとに、その知ったものを盲信するのをやめなきゃ。

知ったものは、そのものの本質で在り続けることはない。

必ず、わたしのいいように塗り替え作り変えている。

だからわたしの知ったものは、そのものではなく、エセである。

自分に対しての猜疑心は必要だ。

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