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卒業

I love you,OK 振り返れば
長くつらい道も
お前だけをささえに歩いた
窓辺にともる灯りのように
俺のこの胸にいつもお前が燃えてる
求め合って生きていたい
この世界のすべてが闇に消えても

矢沢永吉「アイ・ラブ・ユー , OK」(作詞:相澤行夫)


今日、念願の散髪に行ってきた。
ラジオが流れていて、「あなたにとっての卒業の歌」みたいなリクエストを募集していた。

パーソナリティ二人はどうも40代か、それより若い世代のよう。

で、
「50代とか60代の人にとって、卒業の曲て何がるのかな?」
「仰げば尊し、とか?」
「その世代の頃だって歌謡曲合ったでしょ😆」

こんな感じで盛り上がっていた。

う〜ん。。。

歌謡曲もだが、フォーク全盛期だったし、ロックの入り口の世代なんだけどな。

ま、いいか。

でも、荒井由実の「卒業写真」も知らない時代なんだなぁ、と思った。

「今日の日はさようなら」が森山良子、森山直太朗のお母さん、おぎやはぎの小木の義母の歌だということも知らないのだろうな。。。
てか、いまどき「今日の日はさようなら」も知らないか。

そしてしばし考えた。

自分にとって、卒業をで思い浮かべる、その曲を聴くと卒業を思い浮かべる、そんな曲ってなんだろう、って。

16になる今頃、19になる今頃の曲・・・?

いや、なんとなくその世代の頃の卒業であったり、旅立ちを感じさせられる曲とか、流行っていた曲とか、よく聴いていた曲ってのはあると思うが、イコール「卒業」と直結するようなものがない気がする。

卒業写真
木綿のハンカチーフ
微笑がえし

この辺は、卒業シーズンに合致する気はする、歌詞的には。

ないんだよなぁ、自分には。

だいたい、卒業というものそのものに、小・中・高・大とあまり思い入れがなかった気がする。

これで会えなくなるね。

といった感傷的な気もちがないでいた。

そういうところに気が回らないで、先への不安を払拭というか、ごまかすのに精一杯だった、アップアップだったのかもしれないな。

だから、卒業で終わり、卒業でワンセンテンスにピリオド、に反応できなかった。

ずっと不安定だったのだろう。

それと、別れへの恐怖心がどこかにあったのかもしれないな。
別れを感じさせる物事を、ごまかしていたのかもしれない。

「え?卒業?別に、会おうと思えば会えるっしょ。ま、会えないならそれもしようがないでしょ。つぎありますので、かまってらんねぇ」
って感じでごまかして、強がって、現実から目を背けていたのかもしれない。

いまさらわからないけど。

そう考えると、ラジオのパーソナリティお二人の言う、「仰げば尊し」なんてのは、ワタクシ的には当たりの曲だな。
あとは「今日の日はさようなら」。
この2曲は小・中と歌わされたしね、卒業式で。

卒業に縛られなければ、色々と思い入れのある曲ってのはある。
その曲をを聴くとあの時を思い出す、ってのは腐るほどあるね。

で、「今日の言葉」で取り上げたのは、奇しくも昔から大好きだった曲「アイ・ラブ・ユー,OK」の詞の一部。

ただ、この曲の歌詞にさほど思い入れもなく、また、この曲を聴くと浮かんでくる、イコール〇〇といった情景もない。

普通に、好きだな、ってだけ。

こんだけ、下手したらクサイ詞になるようなバリバリのラブソング、なかなか、他のやつでは唄えないし、作る勇気ないでしょ。

矢沢永吉ここにあり!って感じでかっこいいな、と、昔からの憧れだね。

曲は文章では表現できないのだけど、矢沢くんがまだ高校生のころに、最初に作った曲ということらしい、ご本人曰く。
で、キャロル解散後、独りになってのデビュー曲。

詞は、のちに「NOBODY」を木原と結成する相沢行夫。
アンルイスの「六本木心中」や吉川晃司の「モニカ」やハウンド・ドッグの「浮気なパレットキャット」なんかを作ったのがNOBODY.

矢沢と同い年だったと思う。
で、この曲がリリースされたのは彼らが25〜6歳の頃。

若い青年らしく、で、矢沢の意図がめちゃくちゃ反映されていて、ストレートなド演歌、浪花節的な、ラブ・ソング。

それはいいや。

で、昨夜、風呂入りながら、いつものようにランダムに音楽流していたら、久々にこの曲がかかった。
のんびりと聴くのは久々だった。

で、あれ、そう言えばこのストレートな歌詞。。。

うわ!ここらの箇所、おもっきしうちらの世界じゃん!

ってなったのよ。

ちょいと、それを簡単に説明するので、ちょいと宗教、浄土真宗てきなこと。
予めのお断り。

阿弥陀佛の本願は一切の生きとし生けるものを救うことにある。
救えないのであれば仏となることはない。
故に、みんな救われまぁ〜す、というのが浄土真宗の根っこ。
だから、この曲を改めて聴いていて、

いついかなる時も、時間・場所・状況かまわずいつでも支えとなるのが弥陀の本願。

どんな暗闇にいようと、何が遮ろうと、闇を照らすのが弥陀の光。

弥陀の本願は一方通行ではなく、こちらからとの相思相愛でないと成り立たない。

ま、そんなくそつまらない理屈が浮かんじゃったんだわさ、聞こえちゃったわけさ。

だったら、せっかくそう聞こえたんだし、載せさせてもらっちゃいましょう、って、こうなった。

たぶん、次聴いても同じふうには聞けないだろうな。
普通に聴いて、車の中だったら、唄ちゃっている😅

ま、そんなもんでもいいかな、と。

音楽、歌というのはすごいよね。

オレみたく、つまらない人間でも、その歌に、音楽に、考えさせられたり、思いでもらったり、情景を刻み込ませてくれたり、多大な影響がある。

いま、車の中で聴くようにウォークマンに約2000曲が入っている。
それをランダムに流している、運転中。
シュベルト・ベートーベンから日本の80年代のアイドルくらいまで。
演歌もロックもフォークもイージーリスニングも。

するとさ、曲が流れ出した瞬間に、たまに風景・情景が見えたり、顔がふと浮かんだりするんだよね、その刹那。

で、運転に集中しているから、すぐ忘れる。
思い浮かべた事実さえも一緒に忘れていく。
聴いた曲も忘れてる。

そして、また同じ曲で同じ顔を思うかべたりもしているのかもしれないな。

もしかすると、自分では「無い」と思いこんでいるだけで、曲を聴いた瞬間、イコール卒業!、となる曲もあるかもしれないな、忘れているだけで。

あ、そういえば、全然、自分の時代ではないのだけど、だから、イコール卒業とはならないのだけど、最近、斉藤由貴の「卒業」いいなぁ、と思ったのは思い出した。

上手い下手はどうでもいいのよ。

斉藤由貴とあの曲と詞が妙に合っているな。
それに、どうも斉藤由貴の声が好きなんな、って、このあいだ気づいたのを思い出した。

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