ちょうどいい
「ちょうどいい」のが一番いいわけですからね。
そこを狙っていくわけですんでね。
よく言いますでしょ、簡単に皆さん「ちょうどいい」って。
これが難しい。
「ちょうどいい」ってのは本当に難しい。
島田良彦
今日は
昨日を引きずって
気分最悪だ。
一回
イラつくと
だんだん収められなくなってきている
まったくもって
自分の気持をコントロールできない。
一度
怒りのスイッチが入ると
一旦は落ち着いたとしても
容易にスイッチが入りやすくなる
その入りやすさが
年を追うごとに
イージーになってきているのが自分でも分かる。
心の均衡を保つのは
本当に困難なことだ。
面白い映画を観ても
本を読んでも
全てがストレスとなってくる。
こういう日は
さっさと帰って
とっとと寝るのがいい。
が、そうもいかないから
やっかいだ。
なにが不満なのだろう。
どこをどういじれば落ち着けるのだろう
そんな事を考えてしまうから
余計に苛つくのだろう。
ここにあることだけ
いま備わっているところを
充分だと受け止められない悲しさだ。
『仏様のことば』
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓も
お前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も
息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸も不幸も喜びも
悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は
悪くもなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと
行ったところが丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生
丁度よくないはずがない
丁度よいと聞こえた時
憶念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
よく良寛の言葉(詩)と勘違いされている詩だ。
誰が書こうが本当は
わたしにとってはどうでも良かったりする。
そのことばが自分にとって大事であったり
気づきをくれたりするなら
書いた人、言った人は
わたしにとってはどうでもいい。
この名言をいたのはだれでしょう?
って問題が一番嫌いだった、子供の頃から。
でも、そうもいかないのが社会ってもんだ。
で、一応お伝えしておくと
この詩は藤場美津路さんという方が
自分のお寺の『寺報』に載せたもの。
こうあれればいいよな
と思える。
ということは
こうあることができない
こういう風に自分を受け止められない
自分を受け入れてあげられない
そういう自分でしかないということだ。
「今日の言葉」、島田良彦さんのいう
「ちょうどいいってのは本当に難しい」
というのが、昨夜、
録画しておいた番組を観ていて
なんでグッときたのか合点がいった。
まったく
丁度いいことを避け
良くあろう、とか
良くしよう、とか
都合を考えすぎているのだな、今は。
それが分かったとしても
どうにもできない。
どうにかしようとする
丁度良くしようとする
その「しようとする」こと
そのこと自体が
まったく
ちっとも
バランスよくない。
丁度いいってなんだろう。
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