利己は多念
かなしきは
飽くなき利己の一念を
持てあましたる男にありけり
石川啄木
昼までになんとか会議の案内と機関誌の発送を終えた。
で、郵便局に行きがてら昼食。
食べたき物が思い浮かばない。。。
フライもカツも蕎麦もラーメンもパンも寿司も牛丼も違う。
結果、たこ焼きを食べて終えた。
銀だこ。
ひと舟。
まさか、自分がたこ焼きひと舟、8個でもの足りる人間に成るとは思っていなかった。
でも十分足りてしまった。
たこ焼きって、昼食べたあと、なにか物足りなくて食べるもんでしょ?
そうだったはずだ。
たこ焼きが食事に成るとは。
でも、先日、夕食に腹は減っている感じだが食指が伸びず、どうしようとスーパーうろついて、結局、おはぎ2個買って食べたってのが夕食になったし、ま、そういうお年頃なのかもしれない。
娑婆での生活は、暑いし、苛つくことも多いし、そのわりに同じような日々が続くし、いいかげんどこぞ旅でも行きてぇよ!、と、出不精で、基本変化とか好きでないわたしですら飽きてきて、変化を求めている。
なんか、国も都も、変化を求めんな、家にいろ、とかぬかしてるし、多少の熱だとか息苦しさで不安になっても家で野垂れ死ね、って宣言しだしてるし、そんなのを聴くといよいよ意地でも遊びに出てやる!ってなる、瞬間は。
ただ、この暑さが、そんなわたしの勢いを容赦なしに止めてくれる。
コーヒー書いにでてやる!と出た瞬間、20メートルも歩くと、後悔に見舞われる。
家でじっとしておけばよかた、と。
でも、それを圧して数百メートルを歩いてコーヒーを買い、数百メートル歩いて戻ると、うだ〜〜〜て気分80%以上、でも少しだけやっぱ外はいいなぁ、ってなれる。
今は、外出はしたくない、仕事を終えて帰路につくその時まで、そんな気分でエアコンの効いた部屋ででれ〜としている。
こころはあっちこちに揺れ動く、簡単に。
すぐ怒れるし、すぐ笑える。
自分の意思なんて働かず、気がついたら笑わされている、気がついたら怒っている。
わたしってもんには、そう考えると飽きないのかもしれない。
こんなのはわたしじゃない!
そういう見方でしか、いいところどりの自己認識では、すぐに飽き飽きするのかもしれないが、全部が全部じぶんなんだと受け止めるようにすると、こんないい加減な奴珍しいんじゃねぇか?と思えるくらい、いろいろな表情を見せている。
掴みどころがない。
利己の一念。
でも、利己がはんぱでなくあやふやで、その日その時の風で変わるので、「利己」と思っている自我に対しては「一念」なのかもしれないが、実はその一念一念がブレブレであやふやなものであり、「多念」であるんだな。
一念と思えている一念の集合体「多念」が利己という幻想をも見せてくれている。
そりゃ、こんなわけのわからんもん、飽きないし、持て余すわな。
もっともっと自分を探求せにゃ。
解明できるまでいくら時間があっても足りないな。