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はじめの一歩

宇宙の無重力の世界に慣れてきたころ地球に戻ってきて、一枚の紙に重さのあることに、新鮮な驚きを感じました。

向井千秋

以前、たまたま入った喫茶店で、ずっと会っていなかった知り合いにあった。
彼は幸せそうな顔をしてコーヒーを飲んでいた。
めちゃくちゃ尖っていた奴で、さほど仲良しというほどでもない仲だったので、街で見掛けると、面倒くさいときは、彼の目に止まる前に、適当にそこにある店に、なんの用もないのに逃げるように入ったことも何回かある。
そんな彼が、柔らかい顔で、幸せそうな笑みを浮かべて(実際には笑みなんてなく、普通にしていただけ)美味しそうにコーヒーを飲んでいた。

「よう、久しぶり、どうしてたん?」
「あ!えぐっちゃん。うわ、ひさしぶりだね、一年以上ぶりだよね」

えぐっちゃん?って、初めてだ、こやつにちゃん付けでこんな親しげに受け止められたの😅

「ひとり?」
「そうそう。よかったら座んなよ、おごるから」
「おごっていらねぇよ。お前に奢られたら高く付きそうだ」
「ハハハ、そりゃそうだ、ハハハハハ」

こんな感じだったと思う
とりとめもない話をしながら気になっていた。
彼の傍らには杖があった。
たしか自分よりも少しだが年下のはずだ。

「杖、痛風かなんかか?」
「相変わらず、適当だよね、言うことが😆」
「どうしたん?」
「じつはさ」

と彼は話してくれた。

彼は、半年前に脳梗塞で倒れた。
一命をとりとめて、眼を覚まして、朦朧とする中でも彼は泣き叫びたいと思ったという。
「それすらもできなかったんだよ」と、薄く笑う。
もしかしたら寝たきり、よくても車椅子の生活になるだろうと言われたらしい。

当然、職は失う。
それでも、家族は一命をとりとめた彼を喜んでくれた。
それが、とてつもない救いで、そんな家族に生きて会えたことが生きる活力だった。
それでも、彼は諦められなかった。
せめて座れるようになりたい。
車椅子には乗りたい。
「車椅子に初めて乗れた時、家族だけではなく、看護師、介護士を始め、そこにいた入院患者の方々も拍手喝采」
「だろうな」
「そこから、めちゃくちゃ。あいつら、一個できたらすぐ次を欲しがりやがんだよ😆」

ま、本人曰く、地獄のようなリハビリの日々に耐えていた、らしい。

「オーバーでしょ?」と、笑う。
その顔から、悲壮感は全く感じられない。

あ!ホントに凄まじいリハビリだったんだ。
そう思えた、彼の軽口に。

「でさ、ようやくつかまり立ちができて、はじめの一歩が踏み出せた瞬間、もう、ダメよ。ボロボロよ、涙で。オレだけじゃなくて、家族だけじゃなくて、リハビリの先生も看護師さんも、みんな泣いてくれんのよ。座れることが嬉しい。掴まってでも立てることが嬉しい。歩けるって、一歩が出るって、すごいことだ、ってさ、思い知ったっよ」
「お前すごいな」
「あのね違うのよ、えぐっちゃん。そんな立派な話じゃ終われないのよ。一歩歩けるとさ、次に二歩、三歩が欲しくなってさ、昨日の感動なんてすぐに無くなるんだよね。はじめの一歩が出た翌日は、調子がいまいちでさ一歩どころか、立つこともならんかたんだよ。荒れたよ、悔しくて、情けなくて。」

そんなふうに彼はリハビリをして、今ではひとりで普通に出歩けるようになった。
「杖は手放せないが、こうしてコーヒー飲みにも来れるってわけよ」
と、嬉しそうにいう。

「でさ、今では歩けるのがあたり前に戻っているんだよね。あんな感動まったくないよ。たまに、杖を叩き折りたくなるくらいだもん、思うように歩けなくて😅」
「やっぱお前すごいよ」
「なんでよ、オレよか大変な思いしている人なんか腐るほどいるよ」
「お前、自分ができるのがあたり前と思ってしまっていることを恥じってるもん、マジなところで」
「・・・。」
「どうりで、人を殺しそそうな顔していつもいたやつが、柔和ないい顔になるはずだわな」
「そう?今でも気は荒いよ」
「ま、基本はそうなんだろうけど、やっぱ、違うんじゃね」
「そんなもんかな。えらいかぁ。。。じゃ、えぐっちゃん、奢って😁」
「了解!😁!」

こんな感じ。

できなくなって初めてできることの有り難さ、あたり前でなさを知ることができる。

でも、また、できるようになると、またまた当たり前になってしまう。

どうも人間てやつは、つまらなく生きることを選びがちなようだな。

できなかったあの頃をたまには思い出すのは大事だ。

でも、そこに浸っていたらそれまたつまらない。

むつかしいよね、当たり前を感動するって。

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