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先生はやっぱ先生だった。

社会的にどんなに立派にやっているひとでも、自己に対してあわせる顔のないひとは次第に自己と対面することを避けるようになる。
心の日記もつけられなくなる。
ひとりで静かにしていることも耐えられなくなる。
たとえ心の深いところでうめき声がしても、それに耳をかすのは苦しいから、生活をますます忙しくして、これをきかぬふりをするようになる。

            神谷美恵子


たださぁ〜・・・

自分と面と向かえない、心の声を聞けない、そんな気持ちにすらならない、無感覚の人間が今の時代は多くなっている気がする。

羞恥心も悪気もなんもない。

息を吐くように嘘をつき、息を吐くように差別する、そんな人間が目につく。

コイツラの痛みってのは、身体の痛みしかないんじゃね?
神経不感症なんじゃね?

とか思ったりもする。

でも、気づかないだけで、痛めてはいるの?

腹が痛いって、2回もおっぽりだして首相辞めた人間もいるし。

一応はストレスってもんは感じてはいるのだろうな。

そこに僅かではあるが、まだなんとかなるのかもしれない、この国は、なんて甘い観測をしてしまう自分もいる。

いやいや、僕らはそういったものは一切ないですよ〜、って、竹中平蔵が笑ってる。

ともかく、あそこらの神経はわからんし、わかりたくもない。

それはそれとして。

30年ほど前に一人の女性が寺を訪ねてくれた。

ちょうどわたしは留守にしていた。
亡くなられた旦那さんの法事をしてもらいたいという依頼だった。
通夜・葬儀・49日・一周忌までは知人に紹介をされたお寺にお願いしていたが、やはりどうしてもうちに、それもわたしにお願いをしたいという依頼だった。

当時、まだ父も存命でバリバリの現役。
今、住職をやっている兄もいる。
て、ことはだ、あたしゃ俗に言えばNo.3。
まだ、通常のローテーションにも入れてない頃だ。

ではなんでよりにもよって。

その方は、わたしの小学校1、2年生のときの担任の先生だった。

帰宅して、今日〇〇先生がいらっしゃって法事の依頼を受けた、と聞いて、間髪入れずに、

「おまえ、行って来い」

オヤジに言われて驚愕!

マジですか父上!ワタクシをそのようなところへ!ごむたいな😭

これが最初の偽らざる心境だ。

小学校を卒業以来、季節の挨拶どころか年賀状すらも出していなかった、全くお会いしてなかった、無沙汰どころではない、無礼どころではない、ド失礼をしていた。
一つ言い訳させてもらえば、それは誰に対してでもで、3,4年生・5,6年生、中学、高校、の恩師と言われる方々を含め、何やかや知り合った方々誰に対してもやらかしていた、未だにやらかしていることではあるのだ。。。

で、いよいよ、当日。
先生のご自宅へ向かう。
ドキドキ、オロオロ、過呼吸になるんじゃね、ってくらいの気分で向かう。

お会いできる喜びなど微塵もない。

ありえないのはわかるが、そんな方ではないのは重々承知しているが、玄関開いたと同時に、

「上がりなさい。そこにお座りなさい。あなた今まで何をしていたの!」

って、叱られんじゃないか、そんなことまでもが頭に浮かんでしまう。

それくらいの無礼をしてきたのも承知している。

だいたい、1.2年制のときの担任だ。
オネショしたことも、ビービー泣いたことも、デブりだしたことも、全部知られている。
何をしようが、言おうが、見抜かれている感満載だ。

そこで、お勤めしろってか!
それだけではなく、先生のご要望とオヤジの千尋の谷に我が子を落とす的命令で、読経後に先生に向けて法話をしろというミッションまで添えられている😭

ともかく立ちくらみするような気分で玄関チャイムを押す。

「は〜い」

先生の声だ、間違いない。

「いらっしゃい😂」

満面の笑みと涙でお迎えいただいた。

読経・法話を終えて、

「ありがとう、ありがとう😭ようやく、ちゃんとおとうさんにお参りできた😭ありがとう」

未だにこのときのこと、というかこの時に感じた申し訳無さを覚えている。

先生は、心待ちに、ただただ会えることを、かつての教え子が自分の夫の法要で読経し法話をしてくれる、そのことを楽しみに喜びにしていてくださった。

それなのに、わたしは、

「あわす顔ねぇ〜なぁ、会いたくねぇ〜なぁ〜」

そんな心で会う瞬間までいた。

情けなかった。
穴があったら入りたい、ってこんな気持なんだろな。

でも、先生の涙と喜びは、そんなわたしの腐れた根性すらも包み込み、その時のレベルではあるが、一切の申し訳無さなどを感じることなくただ一生懸命にお勤めすることに集中させてくれた。

で、アホポンはアホポンなりに、そういう理屈でない教えを前にすると学ぶんだな。

これから生きていくけど、ま、生きてるもん同士は互いに合わす顔ねぇなぁ、なんて思う娑婆の不義理ってのはしてしまうかもだが、当時でいうと「ばあちゃん」にお浄土で再会する時になって(浄土というところは、必ず行くとこと位置づけてる。で、言い方変えれば、必ず行かなきゃならないとこ、悪行しようが、なにしようがしまいが)、

「あわす顔ねぇから往きたくねぇなぁ〜」

そんな風に思うような生き方だけはせんとこ。
最終的に、せめて、

「生きてきてアレヤコレヤらかしたけど、あわす顔ない感がないこともないけど、でも、やっぱ会いたいな」

って思えるくらいの生きざまであろうとその時に感じた。

あとは、慈悲の涙というのは、本当に凝り固まっている心を溶解してくれんだな、ってこと。

そんなことを感じさせられ、身を持って教えられた恩師との再会だった。

その後、面白いことに、3,4年・5,6年のときの担任の先生にも法事を頼んでいただいて再会をしている。

その時には、もう喜んでいったよ。

多少の気恥ずかしさはあったし、ま、未だにそれはあるよ。
なんせ、小学校の頃の先生だしね。

自分自身と面と向かえるか?と問われたら、面と向かえているか?と問われたら、それはまだまだできていないときが、目をそらそうとしているときが多いような気はする。

でもね、多くの人が、鏡と成ってくれて、気がつくと面と向かわせてくれていることも事実だ。

声を聞くことだと思う、意に反する声だろうが、嫌いな人間の声だろうが、否定してもいいし、揶揄してもいいが、その声を聞くことが大事なんだろう。

そうすると、自然と自分と面と向かわされる。

人の声を無視すれば、自分を無視、自分の意志ですら無視することになる。

空洞なわたしでしかなくなる。

それは淋しいし、もったいない。

自分を見つめてみよう、なんて構える必要はない。

気楽に過ごす中で、生活の中で、気がつくと見つめさせられていることはしょっちゅうある。

その時、たまには、少しだけ歩みを止めて、立ち止まり、見えてきた自分を見つめる時間をとればいい。


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