見出し画像

迂回する大事

答えを与えるというのは親切に見えますが、本当の歩みを生みません。
自分のまねをするような人間を作ることはあっても、独立者を生み出すことにはなりません。
答えというのはいくら言われても自分にうなずくということがなければ、自分の生きるより所とはならないのです。

             一楽 真


伺ったお宅の近くのコインパーキングが当たりだったので、非常に気分がよろしい。

伺うお宅の場所を確認し、ここだとあそこのコインパーキングに停めれば比較的近いな。
と、当たりをつけて出掛ける。
で、今日もいつもどおりに行くと、目当ての場所は満車で入れられない。
と、するとここまで来るあいだにあったあそこに停めるしか無い。
結構歩くな・・・。(と、行っても50mくらい余分に歩くだけなのだが😅)

コインパーキングは、いきなりなくなっていたり、いきなりできていたりする。

もしかしたら他にもあるかも、知らないところに。

時間がまだあったので、グルっとそのオタクの周りを周回する感じで回ってみっか、と、車を走らせる。

とりあえず目標は、ちょいと遠くなるコインパーキング。

最終的にそこにつくような感じで、伺うお宅のそばの通りを廻るってわけだ。

こんな細い道に入ったらねぇだろうなぁ。。。

と思いつつも、通っていない道に入る。
この道の突き当りを左折すれば目標のコインパーキングまでの道だ。
つまり突き当たるまでになければ、目的地に停めるしか無い。

ま、いっか。
ん?
あれ?あのノボリにPの文字が。
でも、色といい感じといい、ダメだ、あら美容室かパン屋かなんかの店のノボリだわ。あそこだったら、最初に停めようとしたとこよりも近くていかったのになぁ〜〜〜・・・???あれ!駐車場じゃん、おもっきしコインパーキングじゃん!
いくら?え?えええ〜!!!

いいここ。とてもいい!!!
前払いのチケット制。
停めたら、2時間・4時間・8時間・12時間のチケットを選んで買って、フロントに置いておくタイプ。
普通、このタイプは、ほんとにいっとき、ほぼこの先使いみちが決まっている空き地を、それまででも少しで有効利用するために、適当に線引して、発券機だけ設置するだけの、舗装も何もされていない、駐車区画もいい加減だったり、ロープを地面に張ってで、そのロープが切れちゃっていたり、そんなところが多い。
ところがここは、綺麗に舗装され、区画線もわかりやすく、一台ずつの駐車スペースも広めな上、隣の車との車間もちゃんと広めに取られている。
そして、この手の駐車場は安い。
仕事は2時間あれば十分以上だ。
2時間のチケットは200円。
どのみち、1時間では短い。
だから、だったら1時間チケットも作ってよ!、なんて欲をかく気も出さないで済む。

最初に停めようとしたコインパーキングだと、ここより確実に狭いし、上下車の際にちょうどフラップ板が足もとにあって乗り降りのじゃまになる。
仕事終わりで車に戻る時は、けっこうアレヤコレヤ、時にはお供えだけでなく弁当や飲み物、お供えもフルーツの籠盛り、なんてこともあって、結構な荷物を持ったまま精算機の前でガチャガチャせにゃならん。
車にそれを積んでから、とも思うのだが、そこはせこい人間性が邪魔をする。
これ積んでいる間に料金が上がるかもしれん!と。
10分で100円上がるところもあれば、1時間を過ぎたら20分で300円なんてところもある。
目を離している間に上がったら嫌だ!、そうさ、セコいのさ!
だから、真っ先に料金を精算する。
で、車に戻り、荷物を積んだり、草履を運転ように靴に履き替えたり、次行くところの場所を確認したり、アレヤコレヤをあたふたしながらする。
もたもたしていたらフラップ板が上がってしまうかも!
そう、ここではセコさよりも気の小ささが出てくる。
で、焦って駐車場を出る。これが大抵のコインパーキンげでの有り様だ、わたしのばやい。

ところが、ここは、2時間までならまったく問題ないので、ゆっくりと戻れるし、ゆっくり発進準備ができる。
精算も済んでいるので、料金の跳ね上がりも気にする必要もないし、フラップ板というものが設置されていないのでフラップ板の跳ね上がりも気にしないで済む。
焦らずに済むは、わたしのような気の小さいもんには、本当に助かる。
そして料金がやすい。
最初に止めようとしていたところは60分200円。
で、60分過ぎると、30分100円ではなく、そのまま60分200円。
つまり、だいたい駐車場を出てから戻るまで7〜80分掛かるような感じで仕事をしているので、400円掛かるところだった。
それが安心して200円で停められた。

なんて今日はいい日なんだ。

最初に停める予定だったコインパーキングが満車だったこと、そこに停めちゃってくれて満車にしてくれちゃった人々に、感謝だぜ。

でも、これがさ、遠くなって、料金も高くて、となっていたら、まったく逆なことを感じるんだな。
満車になってんじゃねぇよ!
誰だよ、停めてんのはよぉ!
と、もうムカついてしまうわけで。

結局さ、結果が自分に都合良いか悪いかでしか生きてないよなぁ。

結果が良い方に出ると、そこまでの道のりも良い道のりにして、悪いと、なんか無駄したな、ってなってしまう自分が見えるよ。

今日のコインパーキング話で言えば、予定外のコインパーキングがあったので、少し探してみようと直接手前で見たコインパーキングにはしらせるのではなく、反対側に出して回ったことも、適当に入ってみた路地も、満車であったことも、全ていいことだった。

これが、迂回している間に、じゃあそこしかないか、と思っていたコインパーキングまでもが満車になっていて、もっと遠くに停める羽目になり、そこが狭くて、高かったりしようもんなら、全てが無駄だったと思い、無駄にしてしまう。
「なんか色々と散策できちゃったし、停められなかったけど、新しいコインパーキング情報も入手できたな!」なんて、思えない。

このコインパーキングの話みたいなのは、まぁ、いいとして、それでもさ、なんかやっぱ、いまの日本社会にどっぷり浸かって生きているとさ、気づかない内に、すぐさま答えを欲し、答えの良し悪しで全てを判断し、探ってみる、考えてみる、道を歩むことを楽しむ、そうゆうゆとりはまったくなくなってきてんなと思う。

だから、殺伐とせざるを得ない。

結果や答えだけを持ち出して、互いにぶつけ合っているだけだし。

過程であったり、どうしてそうなったかの理由であったりはどうでもよくなってきている。

これって、ちっとも発展的じゃないよね、実際は。

何かしら事件がありました。
犯人Aが逮捕・検挙され判決くだされました。
はい、終わり。
「なんでAは、そんなことをしてしまったんだろう?」
「そういうやつなんだ」
「家庭が悪いんだ」
「特別の、変わったやつなんだ」

そんな、簡単な答えで納得し、Aは特別で、自分たちにはAのような素養はない、ときめつけて、安心して終わり。
でも、また同じような事件があり、犯人としてBが捕まる。
そして、Bは特異で終わらせる。
何でもかんでもすぐ終わらせる。
簡単に終わらせられれば終わらせられるほどいい。
そんなことで悩みたくない。
考えたくない。
そこに目を向けて、AもBも特異ではなく、普通のそこらにいる現在の日本で暮らす当り前の人間であることがわかってしまったら、もしかしたら、条件さえ整えば明日AやBになる素養が自分に十分備わっていることが解ったら、そんなの嫌だ!

こんな感じかな、今の日本人。

答えよりも、なんでそうなったのか、どうしてそうなるのか、どうしたら違う方へ変えられるのか、そうした行程こそが大事だし、今の日本社会に欠落している、いまこそ必要なことだと思う。

遠回り、迂回、いろいろしてみよう。

今日のように、良いコインパーキングを見つけられる、そんなこともたまにはあるかもだしね😁


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?