見出し画像

疑善者たれ

いま私たちにできることは、みんながみんな善人になるのではなくて、命を命として見いだすことのできなかった社会を作り上げた一人として、自らの善人の立場を問うてみることの方が大事なことでないかと思います。
         尾畑文正

危うく、危険運転か煽り運転で捕まりそうになった。

高速の乗り口、

ETCレーン
それも2レーンあるうち
自分が向かう方面にある方へ
(東京方面と九州方面があれば、最初は九州方面側のレーンを走っていた)
気をつけて、ウィンカーを出しながら東京方面側のETCレーンへ車線を変更した。
前には車はいないので
普通に走っていると
ETC侵入口直前でヨコからオジイの車が無理やり入り込む。
気づきが遅かったらぶつかっていてもおかしくない感じの横入り。
ぶつかっていたら、オジイの車は、わたしの車とETC侵入口にサンドイッチ状態になっていたかも。そんなくらい危なかった。

当然、車間距離がほとんどない状態でETC侵入口に入っていく。

侵入して出ようとしていたところで
張っていた警官に止められる。

マジか!
ざけんなよ!

ま、いい。
ドライブレコーダーがしっかり捉えているし
インターのカメラも状況はしっかり記録しているはずだ。

面倒くさいことになるが
警察とやりあってやろうじゃないか!
と、一瞬、ジジイへの怒りを警官に向けそうになる。

落ち着け。
いい年こいてなにを考えている。
だいたい、いま、おまえはどんな格好をしている。
「あ!いま。お坊さんだ!」
やばい!やばかった!

むかしむかし、Once Upon a Time、 long, long ago
しでかした、やらかした、ろくでもない自分を思い出す。
それは、まだ30そこそこ頃。

回想(得意の横道逸れ)

急いでいた。道が混んでいて、ようやく地元まで戻ってこれた。
予定より30分遅れで。
やばい、あと3分しかない、寺で待っている方のご法事。
次の角を曲がれば駐車場だ。
(ちなみにうちんちの寺は小さな寺なので、駐車場などないので、離れたところにある月極の駐車場を借りている)
曲がろうとしたら工事の誘導警備のおじちゃんに止められた。
「あん?」
「工事中ですので、申し訳ありませんが迂回お願いします」
人の良さそうな笑顔が余計にむかつく。
「そこの駐車場に入れんだよっ!」
駐車場の少し手前での工事だ。そこから入っても入れようがない。
「すみません、迂回おねがいいたします🙏」
「ザケンじゃねぇ〜!こちとら時間がねぇんだよ!こんなとこで工事してんじゃねぇ〜〜〜!」
ここまでは言ってないけど、そんな感じの思いで怒鳴っていた。
「・・・・・・」
「あん?」
「お坊様なのに、そんなひどいことを・・・」
「!!!!!!ぎゃっ!!!!!!そうだ今は坊さんだったんだ!!!!!忘れてたぁ!!!!!!」
・・・・・・・・・・・。
焦ってその場を逃げて、コインパーキングに入れて15分遅れて寺に戻った。

ま、坊さん云々なんて関係がないんだけど、本当は。
人間として、恥ずかしい態度だったし、ありえない自分勝手で傲慢な姿勢だったわけだ。

あのときのおじちゃんのお陰で、いっぱい気付かされた。
自分の傲慢さと、他者を傷つける姿勢をなんとも思っていない鈍感さ、人として、人間として恥ずかしい男だということ、切羽詰まると自制が効かない臆病者、なによりも自分自身が一番毛嫌いしているタイプの、そこにいたら胸倉掴んで引き摺り回したい!と思えてしまうようなやつ、それが自分の正体だと。
数日間だけだが、人知れず落ち込んだ。

もとい。

アレのお陰で、今日も踏みとどまれた。

トントン。

窓を叩く音。

ウィンドウを下げる。

「なんでしょうか?」
「えっと、あなた今ですねぇ・・・あ、すみません」
漏れ聞こえる無線。
(その人じゃない。前の車だよ!)
「あ・・・。」
どうも、後方で張っていた警官からの指示だったようだ。
で、いまわたしのヨコにいる方は間違えてわたしを止めてしまった。
予想でしかないが、危険な割り込み、事故が起きても致し方なく、方向指示器も出しておらず、おそらく後方で張っていた方はそのあたりを注意するつもりで止めさせたら、止めた方は前方から見えたのがちょうどわたしがマクッているように見える光景だったので、なんの疑いもなくわたしの車を止めた、ただそれだけのことだ。

「・・・どうもすみませんでした。まちがえでした。。。」
「あ、はい。じゃ、行っていい?」
「はい、どうぞ。運転、気をつけてください」

警官、自分を取り戻したな。
最後の「運転、気をつけて」の一言が出てるところを見ると。

ここでも、止めた警官が、間違いを認めて謝ってくれたから、こちらとしても気分良くなれたけど、あそこで、「行っていいですよ」みたいな一言だけだったら、すんげぇムカついていたろうな。
ヘタしたら、「なんだよ、その行っていいってのは。あん?なんで止めたんだよ?なにがどうしたか納得いく説明してもらおうじゃねぇか!」とかなっていたかもしれない。
人間の一瞬一瞬の言動って、ほんと難しいし大事だ。

それで言えば、割り込みジジイも、割り込んだ瞬間ハザードの2〜3回の点滅でスミマセンの意を見せていたら、ここでジジイではなく、お年寄りと書かれていただろうに。
(オジイがジジイになり、割り込みジジイまで変換され、いま危うく「クソ」を頭につけそうだったぜ😅)

なんなんだ!

オレのこのアッチコッチ揺れまくる神経は!

着火温度があまりに低い😅

ま、そんなわけで捕まらずに済んだのだが
それはそれとして
言葉一ついい間違えた、
言い方が悪かった
足りなかった
それだけでも、とんでもない状況になることがある。

わかってくれるを大前提に話すことで
まったく違うことが伝わることもある。

自分の立場を絶対だと思っている時
そう思わずにいられないほど追い詰められた気になった時
自分の立場も、いる場所も、時間も、カッコも、
ま、TPOってやつなんか完全に忘れて自分の感情に溺れることなんざ簡単に起きる。

反省するにも
根本的に、だれがやったとしても、TPO関係なしに、間違いであり、恥ずべきことであったとしても、「〇〇のくせに」とか、「今は〇〇だったんだ」とかをつけて反省することで、その行為自体と自らを恥じるのではなく、人から見られた立場を恥じるだけというトンチンカンの反省しかできなくなることもある。

ちなみに
今日挙げた事例、全てにおいて
やらかしたことも含めて
あとから反省しようがしまいが関係なく
その瞬間は
わたしは絶対的に「善」だった。
間違いなく正しかった。
そこに立っていた。

そんなんだから問題なんだけど
でも
「正しい」に立たないと人はなにもできない。

だから
「正しい」「善」はいつの時も疑ってかからなければならない。

偽善ではなく疑善。

人間に「善」はない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?