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悪足掻き

こっちと むこう   まど・みちお

たたいてきたから
たたきかえした

また たたいてきたから
また たたきかえした

そんなに いたくは ないのだが
また また たたいてきたので
とっさに ふたつ
たたきかえして にげてやる

もちろん すぐ おいかけてきて
また ひとつ たたいたが
こんどは ほっておくと
もう たたいては こなかった

やっぱり
たたいた かずは おんなじだと
あんしん したんだな

こっちも こっち
むこうも むこう
よく にてやがるなあ


今朝、車で大通りから路地に左折しようと減速すると、歩道をゆっくりと自転車が前方からきたので、当然一時停止。
ほぼ同時に自転車も止まる。
眼で譲り合う一瞬の間。
間が合わず?合って?
ほぼ同時に進もうとして、止まる。

苦笑い。

どうぞと、今度は手で促す。
と、自転車の方が、どうぞどうぞ。

ダチョウ倶楽部か!
オレは上島竜兵か!

なんてことは思わない。

ありがたく、車を出させてもらう。
手と、軽く会釈をして礼を送る。

あちらは笑顔で、いえいえ。
聞こえないし、言ってもいないだろうけど、
「どういたしまして」

気分がとても良かった。

気分のいい人に会うと、簡単にご機嫌になれる。
気分のいい人は、わたしにとって、間が合う、都合がいい、細かいことをいうと、笑顔がいい、優しそう、嘘くさくなさそう、そんなご都合に合う人。

そういう人は基本、わたしが持てないもの、優しさや、奥ゆかしさや、幸せをその瞬間だけかもしれないが持っている。

憧れだね。

憧れちゃうんだろうな、あぁありたいなぁ〜、あれないなぁ〜、って。

逆に、気分を悪くしてくれる人に遭遇したり見掛けたりすると、「あぁは成りたくないぜ。ケッ!」とおもうのだが、成らないどころか、もう成っている自分がいる。

いや、それ以上に嫌いたくなる、そんな自分がいる。

昔、自分の出演した舞台のビデオを観てしまった。
一番キライなタイプの役者だな、と思った。

テレビや、ラジオで、その人物がどうしても好きになれない、思想や言動ではなく、どうしても、なんかしれないけど。。。
そんなことを思わされる人がたまにいる。
声質や口調がどことなくにている。
いや、似てはいないのだが、似た波長を出しているような気がする。
老若男女問わず。
女性でも、とてもキレイな声だと言われる方でも、なんか好きになれない、受け付けられない。
そんなかたもいる。

どうも、実際の自分というものが、勝手に妄想で描いている自分とあまりにもどこからどこまでも掛け離れているため、実際の自分を見せつけられるような気がするのだろう。

そんなことを経て、ムカついたり、虫酸が走るような人間が出てくると、基本は見ないで逃げるのだが、どうしてもこの情報化社会、見ない聞かない知らないでは押し通せないので、結局そいつと面と向かうことになるのだが、その際はそいつの中に自分を探し、自分の中にそいつを探す、そんなことをしてみたりはする。

毎回ではないよ。
どちらかというと、いよいよ、こいつはクソヤローだな!、とダメデキナイの太鼓判を押すとなった際。

かならず見つかるね、それも簡単に。

どこかで人を見下すところ。
ひねて、いじけて、弱者ぶって、気を引こうとするスケベなところ。
いじけた根性。
ビビリ。
差別的な決め込み、偏見。

そんなもんは簡単にみつかる。

それ以外にも、もしかしたら・・・、という新たな、気づけていなかった危うさを気付かされることもある。

笑顔で過ごすことよりも、ムカつきながら過ごすことを選びがちな、倍返しだ!が好きな(ドラマは観てません)、この恨み晴らさでおくべきか〜な、そんな自分が嘆かわしくもある。

でも、笑顔になるためには、そこを見逃せないんだな。
そんな自分と相対さなければ、本意気で付き合わなければ、薄ら笑いで生きる人間でしか無いしね。

そうはありあたくない、という足掻きが、嫌いなアイツを見させるんだと思っている。


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