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感じたら考えろ

私の「リアル」が迷うことと悩むことの中にある。
私は「考えちゃう」のだ。
苦しかろうが、楽しかろうが。
これからも、ずっと。
       南直哉

う〜ん
どうしよう
なにも浮かんでこない

今日も色々あったのだが
これを書きたいというものが
まったく浮かんでこない


その状態で
とりあえず書き出そうと
noteを開いて
「今日の言葉」をコピペして
読み直して
まさに今のこの状態じゃん!
と、書き出した。

なんもなかろうが
なんかあろうが
悲しかろうが
嬉しかろうが
考えちゃうよねぇ〜

この考える作業が
わたしをわたしたらしめている

我思う故に我あり

てやつだ

考えるから
悩ましいし
悲しかったり
嬉しかったり
恨めしかったり
腹立たたしい

だったら考えなければいい

それができたら
苦労はしない

釈迦がある時
ダンナとこどもを次々に失って
悲しみに打ちひしがれている女性に会った

釈迦「なんで泣いてんのん?」
女性「お父ちゃんと子どもが死んだんだよ」
釈迦「え?なんでそれで泣いてんのん?」
女性「はぁ?そりゃ、泣くっしょ、大事な人が死んでしまったら!」
釈迦「あんな、生きているもんはみな死ぬんよ。
   だから当たり前のことが起きただけだし。
   泣く必要ないんよ」
女性「!!!・・・そうか!そりゃそうだ!」

女性は悲しみから救われましたとさ
て、話が経典に載っている。

そんなふうにモノワカリよくねぇし😅
よくなりたいとも思えないし。

つぎ

ある時、釈迦にAさんが質問しました

A 「あのさぁ、悲しくて悲しくてやりきれないんすけど、どしたらいい?」
釈迦「ふ〜ん、じゃ、喜ぶをやめな。そしたら悲しみもなくなるし」
A 「はぁ?なにゆてんのん?」
釈迦「悲しいのんと嬉しいんのんは一枚の紙の表面と裏面みたいなもん。
   紙の裏面だけ捨てるとか表面だけ捨てるってできんでしょ?
   だから嬉しいの(喜ぶの)や捨てたら、悲しいいのもなくなるの」

そう言われてもなぁ

嬉しいの
楽しいの
美味しいの
捨てるなんてイヤじゃ

よって
悩むこと
考えることを
ワシャ選ぶ

ここで
悲しみを捨てる
考えるのを捨てる
というのは
放棄する
とか
投げやりになるってことじゃない

その事象と面と向かい
目をそらさず受け止めて
それを当たり前の大事と捉えること
投げ出さずに
飲み込むこと

そんなことできるわけがない

飲み込めねぇよ

だから悩み
考え込む

それなら
どうせそれが人間であるなら
そいつを楽しまなきゃ損じゃんよ

人間は考える葦である

でも
考えて
そのルツボにハマって
自分で自分をがんじがらめにしないようにしなけりゃ

そんなことにならんように
お釈迦さんの言葉はある
「おまえ、変だし」
という指摘だな
オイラにとって
「テメェでテメェの首絞めまくり〜」
て。

考えるな感じろ

て、ブルース・リーさんは言った

そうなんだよね
最近
考えるか考えないかの
2択しかないんだよね

感じるという世界を大事にしないと
感受性を大事にしないと
考えるだけのやつは
考えのルツボにハマり
考えないやつは
呆けていくだけ

感受性を大事に
悩もう
考えよう

そしたら
なんとか
今日も無理くりだけど
noteが
書けましたとさ😅



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