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失恋したわけではない。←昭和な価値観

幸福は人間の自然な状態なのだが、わたしやちは不幸な状態に安住するように訓練されている。
奇妙なことだが、わたしたちは幸福に慣れていないのだ。
ものごとがこうあるべきだという観念のなかで道に迷っているからだ。

エリザベス・キューブラ・ロス


ようやく髪を夏バージョンにしてきた。

7月に切りにく予定をしていたのだが、なんか、まだ早いような気がして、そんなに鬱陶しさも感じられず、風呂上がりに髪を乾かすのにも面倒臭さも感じられずにいたのでスルーしていた。

ここ数日、この暑さもあるが、髪を乾かしても乾かしても汗で髪が濡れてくるような気分になり、いつまでもドライヤーの熱い風とガーという音に苛まれている気がしだし、もう、こんなのいやだ!と。

で、いまさっき、仕事を抜け出して髪を切りにいってきた。

女性の人がよくやるシュートカット(耳が少し出てるくらい)の長さから反省ボーズにした感じだ。

全体的に10〜15cmくらい切ってきた。

これでスッキリだ。

1分もかからずに髪も乾かせる。

で、次は11月頃に髪を整えに行けばいい感じだな。

て、ことは、3ヶ月はほったらかしでいける。

ファッションとか髪型とか、そうした物に興味がないというのは、こうした際に助かる。
切ったら切りっぱなしなので、せっかくソフトモヒカンだベッカムヘアにしても、整髪料もつけないでまんまなので、普通に丸刈りの感じでしかないのだが気にならずに済む。

半端に伸びたボーズ刈はいちばん汚らしくてむさいのだが、それすらも気にしないで済む。
そんな髪型でスーツにネクタイでもいけちゃう。

こだわりがないと楽なもんだ。

と、いいつつも、ほかへのこだわりは一端にあるので、楽な生活は成り立たない。

「これがオレのこだわりだ!」

と、いう明確なこだわりがあるわけではないので、余計に細々と知らぬ間にこだわりがヒョコっとちょこちょこ顔を出すので、下手をするときちっとこだわりのある人よりも苛ついて生活しているのかもしれない。

なんか、髪を切りに行くタイミングとか、入浴の仕方とか、オムライスの玉子の在り方とか、カレーうどんの味とか、ウィンカーを出すタイミングとか、日々自分でもよくわかていないこだわりがチョコチョコちょこちょこ顔を出す。
そして、ムカッ!イラッ!コラッ!となっている。

幸福じゃねぇなぁ〜。

そういえば、好きで毎回見ている奥薗壽子さんのYoutube、昨日、「餃子」がUPされて、「これ作ってみよ!」と思ったのだが、餃子はこの皮じゃなきゃ嫌!ってこだわりがあるので、それ売ってるところに当分行けそうもないので、餃子が作れないで不幸なんだな。。。。

ここでもつまらんこだわりで自分を追い込む。

ほんと、あきれてものもいえねぇ、って感じだ、我が事ながら。


せっかくなので、奥薗壽子さんの「餃子」

いくつか、自分でも奥薗流を作ってみたけど、みな美味しかった。

何よりも、京都のかしましい陽気な方、って感じの喋りがチャーミングでとてもよろしい奥薗壽子!(呼び捨て失礼🙏)

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