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箱庭品評会は楽しくあれ。

私達は様々な関係を生きています。
関係を生きているということは、都合の悪いものを消せば済むというほど浅くない。
いなくなればまた別の問題が起こってくるということです。

            一楽真


昨日は様々な団体に所属している人が集まる会議に参加してきた。

で、まぁ、所属団体が違えば、そこの団体の理念やなんやらかんやら、一事象に対するスタンス、考え方、捉え方が違うので発言も多角的になり、ま、毎回、面白く会議に参加させてもらっている。

でも、昨日は、面白みがちょっと違った。

団体のスタンスというよりも、その団体での立場、どの程度、その団体を背負って出てきているかで発言の温度差が見えた。

普段、けっこう意見が噛み合う方と意見がいまいち噛み合わなかったり、その逆もあったり、協議事項の問題とする点も違っていたり、ある意味スリリングにその場を過ごさせてもらえた。

ま、口うるさいいし、自分の意見を是が非でも通したいだけを背負って出てきているような質が悪いわたしのような人間は、結局は最後までギャーギャーと議事の邪魔をしてしまったが😅

わたしはその会議には、名前だけは宗派代表として参加しているが、名前だけで、宗派からしたら勝手に代表に成りやがってるけどモンク言ったら鬱陶しいことになりそうだしやらせとけ、みたく、ほぼ野放し状態なので、言いたい放題できちゃう。
でもって、たぶん、その会議に出てきている方々、老若男女揃われているのだが、その中で一番何も背負っていないのがわたしなんだろう。
そんなのが一番口出しするしうるさいから、ほんと、事務局の方や他の参加者の方々には申し訳ないなぁ、って、一応は思っている。

でもさ、面白いのよ。
けっこう、種火付けると、発火してくれる人が多いし、思わぬいい発言や、「あ!そこ、まったく気が付かなかった!」なんて事も教えられたり、感情と思いつきがメインで話すようなわたしとは違って、組織とか、社会とか、経済とかの理念で発言される方もいて、まったく、テメェでは考えもつきようのないレベルで話が進んだりして、そこによせばいいのに話に割って入って撃沈させられたり、ま、楽しんじゃっているんだ。

でさ、結局は、みんな、自分の意志で、自分の思いで、自分が意見を言っているのだけれどさ、よくよくはたから見られると気づかないうちに、大事はどこにあるかがわからなくなっている、立場であるとか社会性であるとか、そちらのほうが大事になってしまっていることが当たり前にあるんだよね。

どんな賢くて冷静な方でも、それはある。

いつもではないよ。
でも、ある琴線に触れた瞬間、それが出てくるんだな、無意識に。
そして、そういう時は、自分は必ず正義に立っている。
で?こんな普段冷静で優しい人でも?という人でも必ずその琴線はある。

そんでもって、その琴線がどこにあるのかが、実は自分ではまったくわからないんだよね。

だからこそ面白いんだよね、話し合いが、対話が成り立つ場所ってのは。

それ、おかしいよ。

そう言ってくれる人もいるわけだし。

言っていること、わからないし、矛盾している。

そう指摘されても、オレなんざ、どこがおかしくて、どこが矛盾してんだ!ってなっちゃうけど、頭悪いからすぐにはわからないけど、少し経つと、なるほどね、100パーではないけど、言われたとおりかもしれないな、なんて反省させられることもある。

人は、その場その場で立ち位置も変わるし、年代や世代に寄って見方も変わるし、実にあやふやな生き物であり、そのいい加減であやふやな人という動物同士が作り上げているのが社会というバーチャルな間だ。

互いに自分で絶え間なく弄りまくっている自分の箱庭の見せ合いっこ、品評会をしているのが人間って面白い動物だ。

お前の箱庭はオレは気に入らねぇ、て誰かの箱庭を壊したとしても、すぐにもっと気に入らない箱庭を見せてくる人間が次々と手ぐすね引いて待っている。

第一さ、何が気に入らないって、自分自身の箱庭が一番気に入ってないんだよね、実は。
だから、四六時中、休むことなく、絶え間なく弄りまくっているんだよ、ああだこうだと。

箱庭品評会は相手の箱庭をクサすんじゃなく、互いの箱庭の良いとこ悪いとこを指摘しあって、楽しくやったほうがいいなぁ、そんなことを感じる今日このごろ。

なんでそんなことを感じるかっていうと、ガキの頃からずっとなんだけど、人の箱庭をぶち壊すことばっか考えてしまう自分がいて、その箱庭がぶち壊れたとしても全然おもしろくもへったくれもないってことにようやく少しだけ気づいてきてるから。

みんな、

互いに、いい箱庭造ろうぜ。

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