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上等!

光と闇。
私たちは光を遮っているから見えるんです。
光そのままを光として受け取ることができないのです。
迷惑をかけない生き方はできません。一番、大切なことは、人に迷惑をかけている、その自覚です。
光を遮ってある自分だということです。

          祖父江文宏


迷惑をかけずに死んでいきたい、って言葉が嫌いだ。

迷惑をかけずに余生を過ごしたい、なんて言葉も。

なんて傲慢な考え方なんだ!と思う。
正直、言葉はきつくて、悪いかもしれないが、
「何様のつもりだ?いい人ぶってんじゃねぇよ!」
と、思えてしまう。
どんないい人が、優しい人が言おうが。
いや、そういう人が言うと、ことさら強く感じてしまう。

「何様」とか「いい人」とか特定の人に対しての言葉を使ったが、その言葉を言った人が云々の話ではない。
その言葉の持つ、「迷惑をかけない」という言葉の持つ思考が嫌いなんだ。

人が生きるということは迷惑なんだ。

人が生まれ、人が死ぬ。
人と触れ合う。
人が何かをする。

そのことで必ず、多かれ少なかれ、皆、迷い惑うんだ。

迷惑かけづに、って、金のことしか考えてないんじゃねぇのか?
テレビのCMなどで焚きつける企業もある。
「迷惑かけずに死んでいきたいわねぇ」なんて笑顔で言わせて。

バカじゃねぇか?

金が有り余れば、残せば、迷惑しないという発想が陳腐でしか無い。

それに踊らされてはならない。

あえて迷惑をかけろというわけではない。

普通に生きているだけでも十分迷惑かけていることをどこかで知っていく事が大事だ。

迷惑をかけたくない、なんて綺麗ごとを言わずに、
「死んでもいい人だったと言われたい」
「死んだあと、残してくれたお金で助かった、と感謝されたい」

そう言えばいいだけだ。

それでも迷惑するんだよ。
迷うし惑うんだよ。
その人にとって掛け替えのない人が亡くなれば、死ねば、その人は死んだ人がいい人であればあるほど、迷うし惑う。

迷惑を掛け合って、一緒に迷惑して、時には一緒に涙し、時には憤り、時には互いにブチギレて疎遠になり、そんなこんなしながら生きていく。

迷惑は人間の必須品だ。

迷惑を大事にすればいい。

自分じゃ、これだけやれば大丈夫、と思って、計らってしたことでも、実は残されたもんはどえらい事になる、なんてことはしょっちゅうある。

わかりやすく言えば財産。
めちゃくちゃ仲の良かった兄弟が骨肉の争いを繰り広げ、最終的に殺人者と被害者に成ったなんてこともある。
10億円の遺産の半分ずつじゃ気に入らない、ってかんじで。

お坊さんぽい裏話。
いっとき、寺と檀家(その寺の墓所に墓がある家)の争いが多くあった。
その寺の檀家である以上、勝手に通夜葬儀をしてもらっては困る、という約束は寺の墓を求める時点で多くの場合取り交わされている。
ところが、親が全てそのあたりを取り仕切っていて、東京や大阪に働きに出て忙しい子供たちに法事や親戚の葬儀なんかを手伝わせるのは、相談をするのでさえ迷惑だろうからと、すべてを親がやってきた。
その親が亡くなった。
何も知らない子どもたちは、近場の便のいいとこで勝手に通夜葬儀をやって、法名(戒名)もその時やってくれた僧侶に付けてもらった。
で、いざ、家のお墓に納めようと、墓のある寺(菩提寺)にその旨伝えたら、
「それではうちの寺の境内地にある墓には納めさせるわっけにはいかない」
と、当然なる。
それで争いとなる。
法廷闘争まで持ち込まれたケースも儘ある。

そうした問題が多く出てきたころ、墓埋法という法律が変わろうとしていた頃だったので、役所も裁判所もなにがなんだかわからずに、だいたい一審では寺側が負けた。文句言わずに納骨させろ!ということ。だって墓は「〇〇家のもんだから」と。

でも、墓所というものは、基本借地である。
寺のものであり、「〇〇家」はそこの永代使用権を持っているだけだ。
役所の人間も司法の人間もそこがわかっていなかった。
そこをしっかりと寺側の代理人に説明受けて、最終的には寺側がほとんどの事案で勝利した。

べつに、寺のかたを持つわけでも、「〇〇家」が悪い、というわけでもない。

ま、いやぁ〜、互いにそれまで交流をもたなかったからこんな事になったのだから、どっちもどっちだ。

ただ、いちおう坊さんなんで、そっち側からアドバイスとは言わないが、ここでの注意事項を挙げれば、親は子供に迷惑をかけちゃ、という親心かもしれんが、それが迷惑に繋がったってことかな。
一緒に寺に行っててもらえば、嫌な顔をされても法事や何やかやの相談を寺にする際に同席してもらっていれば、そんなことにはなんなかったろうなと。
少なくとも、法廷闘争なんてことにはならなかったケースはたくさんあったと思う。
気は心だ。
ミスっても、例えば違う寺の坊さん呼んで葬儀しちゃったとしても、顔見知っていれば、モンクの一つは言われても、ちょっとくらい言い争いに成ったとしても、その際でも互いの落とし所を探しながらの争いに臨むだろう。

話がずれてしまったように思えるが、ようは、テメェが迷惑掛けないようにとおもってしていることでも、それはどこまでいっても自分の独りよがりのためでしか無い、ってことはちゃんと踏まえた上で事をすすめるなり考えるなりしよう。

迷惑かけるのは悪、迷惑掛けるのは最低、そんなくそみたいな風潮に流されないようにご用心。

この言葉は、人によっては勘違いするかもだし、ちょっといいすぎかなと思うので、書き込もかどうしようか悩んでいたんだけど、やっぱ、これ書かないと終わらないや😅

迷惑ジョートー!



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