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父親のこと




父親のことを考えました。
ずっと考えたくないと思っていました。

考える事が出来るようになった自分に少し驚きつつ、自然な気持ちに任せて、感じてみました。


父親の幼少期の事は、詳しくは知りませんが、
私が子供の頃に、親戚の人から少し聞いた事がありました。
父親の実の母親は、父親を産んだ後の体調が良くなく、父親が幼い頃に亡くなった事。その後、父親の父親(私の祖父)は再婚し、父親にとっての弟(叔父)が産まれた事。
後妻に入った私の祖母は、毎日朝から晩まで畑仕事をしながら、父と叔父を分け隔てなく育てたと聞きましたが、
思えば祖母の性格は、良く言えばおおらかでとても明るく元気、逆に言えばマイペースで少しガサツで子供の気持ちなどをあまり気遣ったり慮ったりはしないタイプ、何でも思った事がすぐ口に出てしまう人でした。
親戚の人の話しと、私が推測する域を出ませんが、父親は実の母親を亡くし、継母が来たものの、母親に甘える事などなく、父親である祖父も厳しい人でしたので、両親の愛情をあまり知る事なく育ったのかもしれません。
それと、私が父親と衝突した頃に私の母親から聞いた事でしたが、父親は、育つ中で、自分と弟に対する継母の接し方の違いなどを感じる事があったとの事でした。
祖母は子供2人を分け隔てなく育てていたつもりでも、父親的には何らかの継母の態度で、弟との差を感じ、もしかして寂しさを抱えたり、心の傷を作り育っていたのかもしれません。
それを自らの結婚後に、妻である私の母親に話していたのだと思います。


父親は、仕事中に、職場に訪れた宗教伝道者から、宗教の話しを聞き、その伝道者が職場を出た後に、自分で走って追いかけて、話しをもっと聞きたいと言ったそうです。
何回か話しを聞いた後、これが真理だと思い、教義の勉強を始めた、と言っていました。その後の話しはnote記事 '私の過去①' 以降になります。

数日前の深夜、私はなかなか眠れずに、
noteを閲覧したりYouTube動画を観たりしていました。ある出会いがありました。今の私が思ったり感じたりする事ととてもシンクロしている出会いで、とても驚きました。
私はその新しい出会いに触れた時、すごいと、今自分が感じている事とほとんど同じ事を言っている方がいると、自分が今の気持ちに辿り着くずっと前から、そのような考えの方がいらして、ずっと前から行動されていたんだ、と思いました。驚きで、余計に目が覚めてしまいました。


その日は仕事行き来の途中に、なぜか父親の事を思い、衝突してから初めて、父親に対してありがとうという、瞬間的でしたが、そんな気持ちを感じた日でした。父親に対してそんな事、思った事ありませんでした。
その夜の深夜の出会いでした。


その後、ゆっくりした時などにまたnoteを読んだり、動画を観たりしながら、この出会いは、私にとっていったいどういう意味があるのだろう...と思いました。
何か意味があるのだろうか...、今、このタイミングで出会った事も、何か意味があるのではないだろうか...と思いました。


今日になり、ふと気づきました。
父親も、きっとこんな心境だったのかもしれない、そう思いました。
私が新しい出会いに触れた時の気持ちは、父親が後に信じる事になった宗教と出会った時の気持ち、父親はきっとこういう気持ちを抱いて、自分が聞いた事を信じて歩もうと心に決めて、その道を選んだんじゃないだろうか、と思いました。きっとそれが自分と家族の幸せに繋がると信じて、そう決めたんじゃないだろうか、と思いました。
私の先日の新しい出会いは、きっとこの父親の心境に触れるための出会いだったんだ、と思いました。


こう捉えた時に、今の私は、心にしっくりきました。心に無理なく、摩擦もなく、ニュートラルな自分でした。


新しい出会いに触れて、魅力を感じました。
もっと触れてみたいとも思いました。
でも、待って、と思いました。今の私は、自分の過去、自分の両親への気持ちと向き合っているまだ途中...、
その気持ちの自然な流れに身を委ねて過ごしている時で、焦ったり急ぐのは違う...と思いました。
きっと先日の出会いや、今日の気づきのように、
これから先には、然るべき事が、然るべき時に起こるから、自分の感覚と気持ちを信じよう...、今の私はそう思いました。



お読み頂き、ありがとうございました。




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