仕事らしい仕事とは?/ギッシング「ヘンリライクラフトの私記」岩波文庫

 秋の終わりに散歩していた時、
「自分の生涯は終わった」と呟きます。

「ひたすら人生に期待をかけていた私が、元気と覇気にあんなに満ちていた私が、こんなにもただもう過去の思い出だけにふけるようになったとはいったいなんとしたことか。」
・・・中略・・・
「私はまだなに一つ仕事らしい仕事をしていないのだ」「私はただ準備だけをしてきたのだ」

「ヘンリライクロフトの私記」ギッシング/岩波文庫

 ギッシングがこの作品を書いたのは43〜44歳。1900年頃のことです。単行本としての出版が1903年。その年の12月に亡くなっています。
 この本初読時、私は大学生で、肉体的にも精神的にも疲れを感じることが少なく、また人生の選択肢がたくさんあったため、希望はあれども、諦めの気持ちなど、つゆほども感じず、上記の気持ちがわかるはずがありませんでした。

 最近は、目の前のことに最善を尽くしているつもりでも「なに一つ仕事らしい仕事をしていない」という感覚を常に持っています。

「仕事らしい仕事」

とはおそらく西村佳哲さんが「自分の仕事をつくる」や「自分をいかして生きる」などの著作を通じて探ろうとしている
「換えのきかない存在感のある仕事」
のことだと思います。

 例えば、直近の野球の世界でいうと、松坂大輔さん、松井秀喜さん、イチローさんなどは45歳までに球史に名を残す活躍をし、様々な人たちに夢や希望を与えました。
 本人達がどう感じているかはわかりませんが、「換えのきかない存在感のある仕事」と言えます。
 ただ、一般的には、山崎まさよしさんの歌の一節、「いつでも探しているよ・・・♪」という状態が普通なのかな?とも思います。

ギッシングは結びでこう書きます。

「私は自分の生涯を、着実に完成された長い一篇の作品−一篇の伝記、欠点が多いかもしれぬが、自分の最善を尽くした伝記、と願わくは眺めることができたらと思う。そして、私が「終わり」という最後の言葉を吐くとき、やがて来るべき安息を、ただ心中満足の念のみを持って喜び迎えることができたらと思うのである。」

「ヘンリライクロフトの私記」ギッシング/岩波文庫

 秋の紅葉のすすむ公園を散歩しながらこの本を思い出し、願わくば「換えのきかない存在感のある仕事」を見い出し、「仕事らしい仕事をした」と「満足感をもって最期を迎えたい」と理想的な人生像を思い描いてました。

 何か1つでも心に響く言葉を紡げれば・・・

「ヘンリライクロフトの私記」ギッシング/岩波文庫

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