京大の公開講義がすごかった。#感想

7月4日から約5週にわたり京大が公開講義を実施するということで、こんな機会はなかなかないと思い、見てみました。

やばいです。京大なんて行こうと思って行けるところではないし、その講義が自宅で、しかも無料で見れるなんてほんとありがたいです。

京都大学・人社未来形発信ユニット公式サイト(https://ukihss.cpier.kyoto-u.ac.jp/1669/)より

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人社未来形発信ユニットとは?

「人文・社会科学の未来形発信」をミッションに、あらゆるメディアを通じて、新しい人文・社会科学の姿を伝える、というプロジェクトだそうです。
それにより、現代社会が抱える課題について認識し、解決出来るように、積極的に貢献するというもの。すばらしいですね。

この人社未来形発信ユニットが“立ち止まって、考える”をキーワードに、学びの機会をオンラインで共有するプログラムが今回の公開講座だそうです。

講義はYouTubeライブ・Twitterライブで配信され、視聴者はチャット欄から質問することができ、講義の終盤で質疑応答の時間を設けて先生が答えてくれます。さらにすごいのは、単なる講義ではなくテーマがそれぞれcovid-19と絡められており、つまりは最新の・今の・ナウの状況下での考察が聞けるということです。(その点で、刻々と状況が変わる中で、どう講義を進めていくか先生方もドキドキしてるというようなことを言ってました。貴重ですね!)

シリーズ講義は環境史、哲学、倫理学、地域研究の4つがあり、第1週目(7月4日、5日)はそれぞれ第1回目となる講義が行われました。

以下、感想です。(視聴順)

①環境史:科学技術社会とコロナ禍/瀬戸口明久

https://youtu.be/QYZ03nSClD0

恥ずかしながら、そもそも「環境史」という言葉を初めて聞きました。歴史というと各時代の政治や文化などに焦点が当てられますが、環境史というのは自然の視点から過去~現代を見るというものだそうです。(まずその発想がなかったです。)
見どころはcovid-19について過去のパンデミックとの違いを論じているところです。約100年前のスペイン・インフルエンザでは、日本の大学は今と同じように休校になったそうなのですが、その期間は1週間ほどで、しかも、その時点ですでに罹患している教授・学生が多くいたとのこと。対して、今の対策はほとんど罹患している人がほとんどいないにも関わらず、長い間休校措置をとったわけです。
今はPCR検査があり、患者数や人の移動をリアルタイムで把握でき、そこから数理モデルによりシミュレーションすることができる。こうした科学技術によって、事前措置をとることができる、ということだそうです。
さらに面白かったのは、「人の命の重さは昔と今で変わっているのか」という質問。答えはYesで、乳児死亡率が昔と比べて劇的に下がったことを例として挙げていましたが、昔は人が死ぬということが比較的日常的に起きていたものが、今では死ぬこと自体が珍しいことと言えるのかもしれません。故に、今はより保守的・最善な対策が選択されているのではないかと、思いました。

②哲学:「われわれとしての⾃⼰」とアフターコロナ/出口康夫

https://youtu.be/RBitOoWODr4

これぞザ・哲学。自己とは何か、という問いから講義は始まりますが、正直、私の頭では考えれば考えるほどよくわからないし、これを追求することでどんな効果・影響があるんだろうと思ってしまいました。(哲学は深いということはわかりました 笑)
寝てる時も自己はあるのか?→自己はない。起きた時に記憶が残っているから連続的に自己を認識しているだけ、だそうです。
とすると、記憶喪失の人はどうなるのでしょうか。もしくは意図的に今までの自己を捨てて新しい自己を得ることはできるのでしょうか。
AIには自己があるのか?という質問も面白かったです。(気になる人は動画を見てください 笑)

③倫理学:パンデミックの倫理学/児玉聡

https://youtu.be/UL14YlKEglc

個人的にはこの講義が一番面白かったです。児玉先生はかなりの早口・マシンガントークなのですが、普段、私はトークものの動画を1.25or1.5倍速で見るので丁度良かったです。
個人の行動を制限するのはいい事か、それとも制限すべきではないのか、その根拠は?まさに今のロックダウンや自粛要請に関わってくる問題です。その判断基準となる主な考え方と、具体的な他のケースも取り上げられていました。個人の行動の制限の例として、
・自転車のスマホ、ウォークマンは規制すべきか
・シートベルト着用は規制すべきか
・生レバの提供は規制すべきか
・餅は規制すべきか(こんにゃくゼリーはどうなのかと聞いてる人もいました笑)
など。こういうのを倫理の観点から考えるのは面白いですね。
あと、「公衆衛生」は明治時代に「Public health」を日本語にするときに付けられたそうなのですが、「衛生」というのは言葉として難しいし(生をまもるという意味)、天体の「衛星」と聞いただけでは区別がつかないし、素直に「健康」とか「保険」に訳せばよかったのに、と児玉先生が言ってたのも面白かったです 笑。なかなかユーモアのある先生でとても好感が持てました。

④地域研究・メディア学:メディアとコミュニティ―東南アジアから考える/山本博之

https://youtu.be/h0uaWjgd6Yk

この講義の狙いは、世界の国々の社会や文化を理解を深めることで、日本のことや立ち位置について考えよう、というものです。
1回目の講義では災害がテーマとして挙げられていましたが、災害というのは社会が抱えている潜在的な課題を明らかにする、とのこと。例えば、ある地域や住民間で旧来から確執があったが、平常時はお互い触れずに過ごしていたとして、災害時にはそれまで溜まっていた思いが表面化される、など。講義ではスマトラ島の地震を例に挙げられていましたが、covid-19ではこれが国家間でも起きているのではないか。他の国のことを知るのはとても大事、と改めて思いました。

4つの講義に共通して思ったこと

京大すごい。こんなに面白い講義をやっているなんて。どれも示唆に富んでいて、新たな気付きを得ることができました。しかも一般人にも分かるように解説してくれて本当にありがたいです。(普段はもっと難解なテーマを扱っているのかもしれませんが)

現役の学生さんはもちろん、学び直ししたい大人のみなさん、大学に行く機会がなかった人も、一人でも多くの人に見てもらいたい、、という微力ながら拡散の気持ちと、自身のメモを兼ねて書きました。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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