アクティビティそっちのけでひとり遊び

画像1 病み上がり。夫が珍しくアクティビティの予約をしていてキャンセルできなかったので、日傘をさして水筒片手にアクティブな父と子を追いかけていた。そんなわたしのひとり遊びをぜひご覧いただきたい。
画像2 小さな草の芽がたくさんあって、人間に舗装されていない環境の心地よさと清々しさに、思わず目が離せなかったわたしはアクティビティのながらに逆らい、写真を撮って歩く。
画像3 木の根から空へと伸びる幼い葉に『もののけ姫』を思い出した。「去れ!」と今にも声が聞こえてきそうなサンの声。
画像4 間違いなく、自宅の近くで同じ芽が空を仰いでいても、わたしはきっと気に留めないだろうなって思いながらシャッターを切る。
画像5 緑の濃さを、空気の洗練さを静かに感じた。遠くで聞こえてくる人の声が遠のいていく。
画像6 可愛らしい幼葉の下には、小さな昆虫が小休憩していた。
画像7 大きく育って欲しいと思って見ていると、急にその対象は息子になる。大きく、しっかり根を張って立って行くことができる人でいてくれたら。いつまでも側で守ってやり続けることはできないから。わたしみたいに拗らせないように…そう日々、願っているんだよなって思う。
画像8 感情の名前を覚えるとき。気づくとき。それは本当に小さな存在だから。わたしはどうしても自分のことですら言葉で表現できないことがある。言葉を扱う仕事とは、まずは自分の感覚をすべて言葉で表現できないとならない。それはライターでも作家でも同じ。
画像9 空から降り注ぐ陽の光は今こうして写真みるとホッとするのに、この日のこのときは狂気にすら感じた。見る場所、時間が変わるとこんなにも捉え方が変わると言うのは不思議だよね。それはやっぱり。わたしの内側にも言える。
画像10 人間だって木と同じだと思う。脈打つ内側の命の流れは私たちでいう血管、神経、リンパと様々な管が張り巡られている。そのどこか、流れが滞ったり損傷があったりしたならば。小さな綻びは必ず表面に浮かび上がる。
画像11 遠くの森で、木が倒れた。そのときの音はしたのだろうか。かの哲学者が言ったという言葉の答えを、わたしはまだ見つけられないでいる。

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