見出し画像

憧れと尊敬できる人がいないこと

 仕事から帰れる。
 車に乗り込み、職場の仲間を乗せて家に送り届けるまで、私は本当に笑えなかった。笑顔を繕えなかった。 

 本当にこういうときばかりマスクがあって良かったと思うし、その職場の仲間もまた、私のように人の顔色を窺うような人でないことが良かったと思った。……こんなこと言っておいて、もしかしたら私がすこし“いつもと違う”ことに気がついていたかもしれないけど。でも彼女は気がついていたとしても、触れてくることはない。そういう気遣いができる人だから、あまり気にしてはいない。

 車内にひとり、帰路に着くまでの道を走りながらぼんやりフロントガラスの向こう側を眺めた。対向車がぐんぐん近づいては去っていく。ここは抜け道だから、規定速度を守る人なんてほぼいない。時間を短縮したくてこの道を通っているのだ。そんな律儀な人は大通りを通っているはずだもの。

 私の根本にある部分。これは両親やその身内、育った環境が強く影響しているのだけれど、年齢=社会経験のある立派な大人、という法則がある。

 思考も浅はかな頃まで私はずっとその言葉のままの意味で歳上の人たちを尊敬して、慕って、時には持ち上げて関係を気づいてきた。
 
 けどここにきて、この法則に歪みがあることをしっかりと心の奥深いところで悟ってしまってから、もう年齢層が私より上だろうが下だろうが気にならなくなった。いい意味で。

 たくさんの経験と思考を超えることに、年齢が関係ないと純粋に感じた。それはもちろん希望的観測もあるが、実際そう思えた方が私自身においても未来は明るい。そういう思考でいたいと思った。

 ただ、ここで非常に残念なことが生じた。

 尊敬できる人、慕いたい人、憧れる人。そういう存在がまったくいなくなったのだ。

 すきだな。
 そんな好感を抱く人はいる。もちろんいるのだけれど、どうにも、尊敬だとか、慕うとか、憧れる、という言葉の意味合いまでの感度があるかというと違う。その言葉で表現するのは私の中で納得がいかない。

 私に良くも悪くも影響を与えてくれる人はいるけれど、私が敬意を持ちあわせて関わっていたい人に出会えない。これがもうずっと続いている。

 これが今、まさに職場で起きている。
 職種的にも経験も、もちろん年齢も全然上の方。学ばせていただくこともあると思うのだが、なんというか、ある日を境にまったく話を聞きたくなくなって、話しかけることすらもしたくなくなってしまった。…といいつつ、もちろん一応大人の端くれなので社交辞令はやりますけど。

 きっかけがなんだったのか、思い返してみてもパッとしない。でも今日も感じた“違和感”と“嫌悪”は大きくなる一方で、これじゃあもう感情的になっているからどう考えたって冷静な事実は出てこないな、と今noteを書いていて感じている。

 『お前は本当にドライだよな』

 父に言われた言葉がよみがえる。
 私は人に対して冷たいらしい。

 けど夫は、私を根は本当に優しいよね。そう言って笑う。先日友人も、私は優しすぎるくらい優しいと言われた。滅多にそんな私に関して感じていることを言わない、表現が小さな友人は、私がママ友関係のトラブルで胃薬とお友だちになっている話を聞いてくれていたとき、そう労ってくれた。

 どうしてこうも対局的なことが言われるのか考えてみた。

 まず1つ言えるのは、私は実家族に対しては確かに優しくないと思う。“娘”と“長女”だけの肩書きのときに、優しくいることをがんばりすぎてしまったからだと思っている。

 与えてもらうには与えないといけない。
 幼い私が必死になって父と母と妹に尽くした結果、私が3人の親みたいになってしまった(夫からしても、私たち家族はそう見えると言う)。

 かつては父と母を尊敬していたし、妹も私にはない長所をたくさん持っていて憧れた。でも今は、もう何も尊敬できることがなくて、憧れもない。

 昔は、もっともっと、言葉にできないくらい眩しいくらいの存在だったのに。

 そこから、私の中の尊敬や憧れを抱き締めるひとは消えた。芸能人、女優俳優に憧れを抱く人もいるけれど、嘘か誠があやふやな向こう側にいる人に憧れを抱くってどういう感じなのだろうか。気に障ってしまったらごめんなさい。でも私には本当にわからないのです。

 憧れや尊敬できる人はいないけど、好きなひとはいる。私らしくいられる人たちがいる。
 今はそれがすごく嬉しくて、幸せ。だから別にいいのだけれど。

 ただ、昔みたいに純粋な気持ちだけで真っ直ぐ人と向き合えなくなっている今の私に気がついて、なんだかくすんだな、と思った。

 大人ってなんだろうな。そもそも人間ってなんだろう。難しい。

 生きるための生存本能だけだったら、疑問を思うことなく慕えるんだろうか。違和感や嫌悪なんて感じないのかな。

 洗車してまっさらなフロントガラスに映る景色はぼやけてきた。珍しく涙が目尻にたまっているのに気がついて、バッグの中にあるハンカチを探す。片手運転していたらちょっと外側に寄りすぎた。

 見えるはずの景色が見えにくい。見えない。

 こんなときは、早く帰って庭先のアイビーを植え替えて、犬と猫を抱っこして小説を書こうと思う。

 私は、こうやって人間と向き合っていく方法しか今のところ知り得ない。

この記事が参加している募集

#ペットとの暮らし

18,493件

頂いたサポートは新しい感動を得ることに使わせていただき、こちらにまた書いていきたいと思います。