天才とは、99%の努力を心の底から楽しめる人である
■リチャード・P・ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉〈下〉』
僕は考えるということが愉快でたまらないという人間である。だからこんなにまで人生を楽しませてくれるすばらしい機械である僕の脳を、こわしてしまいたくないのだ。(下・P.27)
ファインマンさんに恋をした。「恋に落ちるのは一瞬」とは、よく言ったものだ。
「ファインマン?誰だか知らないけど、評判がいいから読んでみよう」
と軽い気持ちで手に取ったこの本。「物理学者のエッセイというからには、小難しいんだろうなぁ……」とこわごわ読みはじめたら、数ページ目で笑ってしまった。文庫を読んでいて笑うなんて、まずないことだ。電車の中で読んでいても思わず吹き出してしまうことが一度や二度じゃなかった。
しかも、笑えるだけじゃない。ファインマンさんの生き方に、考え方に、人柄に心から惹かれた。胸が熱くなって時々涙がじわーっと溢れそうになった。
「こんなに素晴らしい人間が存在したという事実を、一体どうして知らずに生きてきたんだ?どうして誰も教えてくれなかったんだろう!?」
大げさではなく本気でそう思ったから、できるだけ多くの方に読んでもらえたらいいなという気持ちです。
好奇心の塊
私と同じように「ファインマンって誰?」という方もいると思うので、簡単に紹介します。
リチャード・P・ファインマンは、アメリカ出身の理論物理学者(1918年生まれ、1988年没)。マサチューセッツ工科大学及びプリンストン大学で理論物理学を修め、コーネル大学とカリフォルニア工科大学で教える。量子力学に関する研究で1965年にノーベル物理学賞を受賞した。
と経歴だけを見ると、「すごい人」だ。けれど、彼のエッセイに難しい言葉や概念はほとんど出てこず(たまに物理学の話がちょっと難しい時もあるけれど深追いしなくても読める)、とにかくイタズラ好きで、好奇心旺盛で、お茶目な人柄が前面に出ている。
ファインマンさんは、幼い頃から自分の小さな実験室を家の中に作ってラジオの実験などを始める。とにかく、好奇心の塊。身の回りにあるものを解体し、自分なりにとことん理解しようとする。
──と、こういうエピソードはいかにも「天才あるある」という感じに思えるかもしれないが、ファインマンさんの好奇心は少年時代で終わらない。大人になっても心は少年のようで、どこまでもピュアだ。
そういうエピソードが本書にはたくさん出てくるのだけど、個人的に最も印象深かったのは、彼が世界大戦中にロスアラモスという地で原子爆弾の開発に携わった際に(それ自体の是非はともかくとして)、「キャビネット破り」のプロになってしまったという話だ。
追求にかける時間が尋常ではない!
ファインマンさんは、ロスアラモスの研究所で原爆について研究する傍ら、研究員に与えられた機密資料用キャビネットを開けるという遊びにハマってしまう。
それは、2桁の数字を3つ組み合わせるとカチンと開くタイプのダイアル錠だったらしい。彼自身ももちろんそのキャビネットを与えられていたから、まず自分のモノを分解して成り立ちを研究した。次いで他人のキャビネットを開けようとし、ついにはものの数分で開けるワザを習得してしまった。
これがある時は怒られ、ある時は「資料が必要だから開けてくれ」と頼まれるようになり──という愉快な話だ。
彼はもともとパズルや暗号が好きで、かつ手を使った実験に幼い頃から慣れ親しんできた。だから、ダイアル錠で数字の組み合わせを探すのは純粋に楽しかったのだろう。とはいっても、攻略にかけている時間がおそろしく長い。夜な夜な自分の部屋でカチャカチャやり、さらには金庫破りの攻略本まで買い、それが役に立たないから自分で攻略法を考え、実地研修(他人のキャビネットを開ける練習)を繰り返す。たぶん全体で数年単位の話だと思う。しかも、別に誰に頼まれたでもなく、仕事でもなく、やりたくてやっていたのだから驚く。
・
さらに可笑しいのが、ファインマンさんが「金庫破りのプロ」と目をつけた人物になんとかして秘訣を聞き出したいと考え、“確実に”仲良くなろうと目論む場面だ。
──僕はまず夕方僕のオフィスに行く途中、彼のドアの前を通ることを実行しはじめた。ただ通るだけ、ドアの前を通りすぎるだけだ。
これを幾晩か続けたあと、「よう!」と声をかけはじめた。しばらくこれをやっているうち、向うでも同じ男が毎晩そこを通るのを見て、「よう!」とか「今晩は」とか言いはじめた。
これを何週間か続け、それでもまだ気安く話しかけたりしなかった(絶対に失敗してはならないのだから)。
そのうちお互いに少しずつ物を言うようになった。
「よう。ご精が出ますな!」「うん、なかなか忙しいよ」てな程度である。
これを続けて、ようやくある日「スープをいっしょに飲もう」と誘い、毎日スープを一緒に飲むところまでこぎつける(まだ本題に入らない!)。
そして、一緒にスープを飲むうちにぽつぽつとさりげなく本題に入りはじめる……という具合だ。
ただ「他人と仲良くなる」というだけでも、この執念だ。
天才は、努力が楽しくてたまらない
この投稿のタイトルに「天才とは、99%の努力を心の底から楽しめる人である」と書いた。これは引用ではなく、私がこの本を読んで感じたことだ。
ファインマンさんは確かに素晴らしいアイデアを持っていたのだろうし、頭の回転もすごく速いのだろう。
でも彼は、絶対に待たなかった。
彼はずっと努力をしていた。キャビネットを開けるために、社交の場でカッコよく振る舞うために、知らない言語で教えるために、プロ並みのドラム演奏者になるために、古代文字を解読するために、絵を描くために──そしてもちろん、物理学の分野で新しい発見を得るために。
彼がそれぞれの分野にかけた時間は「もともとセンスがあったから」などと口が裂けても言えないような、気が遠くなるような長さだ。
そのうえ彼は、時間をかけ、調べ、分析し、攻略することが、本当に心の底から楽しくてたまらない人だった。はじめはまるっきり素人であることを素直に認め、そこから一段一段昇っていくこと。それによって新しい世界を知れることが嬉しくてたまらないという風だった。
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なんでだかわからないけれど、私は彼の飾らない言葉を読んでいると何度でも泣きそうになってしまった。今も書きながら泣きそうになっている。
天才は、閃きを待ってなどいなかった。
天才の閃きは、その99倍以上の努力があった上で、その努力がある日突然実を結んだものなのであって、努力をしていない人が「閃きを待つ」なんてのは全然話にならないのだ。
しかもファインマンさんは、努力自体が楽しくて楽しくて仕方がなかったから、未知のものに囲まれている人生もたぶん、楽しくて仕方なかったのだと思う。
だがそれでも僕の一番好きなのは、やっぱり物理学だ。だからそこに戻っていくのが嬉しくてたまらないのだ。(上・P.110)
◎
「天才でなくてもいいから、私もファインマンさんのように、世界に対する好奇心と努力を失わずにいたい」
この本に出会えてよかったと、心から思った。
本当は、ファインマンさんの素晴らしさは努力やユーモアに限らずその誠実な考え方にもあるのだけど、長くなってしまうので、またの機会に書けたらいいなと思います。
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