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数学は解きながら創造する

■加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学 IUT理論の衝撃』

「数学は問題を“解く”ものである」

私は、ずっとそう思っていた。もちろんそれは中学や高校で習う数学が、問題を「解く」点に主軸を置いていたからだろう。というか「解く」以外の経験がなかった。

しかしこの本を読んで、IUT理論の概要を知って、私が感じたのは「数学は解きながら“創造する”のかもしれない」──ということだ。

(以下、すこし長めです。)

私は今までに、この本の著者の加藤文元氏が書いた本を数冊読んだ。一般向けの本はおそらく全て読んだと思う。

他の著作が(『ガロア』を除いて)広く数学一般に関するやや哲学的ともいえる内容だったのに対し、この本は「IUT理論」に絞って書かれている。

『宇宙と宇宙をつなぐ数学』というタイトルから、勝手に「宇宙の真理につながる数学なのか!?なんか難しそう……」と思ってしまい(笑)、なかなか読めずにいた。でも実際は、他の著作よりも具体的なうえに「ABC予想」というタイムリーな話題を扱っているので、かなり読みやすい。

タイトルに入っている「IUT理論」は、ABC予想を証明するために数学者の望月新一氏が形づくったオリジナルの理論とのこと。

望月氏の理論はなかなか数学界で受け入れられなかったらしく、そのあたりの経緯や、一般的な数学者の仕事、論文はどのように発表されるか、等々……「数学者の仕事ってこんな感じなんだ」と興味深く読めた。

数学を専門に学んでいない身としては、こうやって一般向けにわかりやすく書いてもらえるのが本当に嬉しいです。

IUT理論は、素人の私から見ても一風変わった理論だと感じられる。

「宇宙と宇宙をつなぐ」とタイトルにあるように、この理論には二つの「宇宙」(=数学の舞台のようなもの)が出てくる。普通、数学の舞台は一つしかない。しかし舞台を別々に存在させ、二つを関連づける仕組みを考えることによって、ABC予想を証明できた──という感じらしい(かなりの要約です笑)。

加藤さんは、このIUT理論がABC予想を解く唯一の方法ではないかもしれない、と書いていた。いずれ“単一の宇宙”で証明する方法が見つかる可能性はある。単純に「ABC予想を証明する」という観点だけであればIUT理論が遠回りだったという結果にもなり得る、けれど、IUT理論にはABC予想は措いておいてもそれ自体に新しさがあり、意義がある──というようなことを、繰り返し説明していたように思う。

同じでもあり、同時に違ってもいるというのは、一つの舞台の上で起こってしまったら、もちろん矛盾以外のなにものでもありません。しかし、このように異なる舞台の上で、物事を考えることができるなら、それはもやは矛盾ではありません。(P.190)


冒頭で

「数学は解きながら“創造する”のかもしれない」

と書いたが、私はこの本を読んでようやく「数学が人間の営みであり、それゆえに創造性をはらんでいる」ということを、実感として知れた。


読んで私がイメージしたのは、数学ではなく「構造設計」という分野だった。

例えば、電波塔を設計するとする(東京タワーやスカイツリーのようなもの)。敷地が決まればおおよその水平投影面積(=真上から見た大きさ)が決まる。加えて、必要な高さが条件として与えられるだろう。

何百メートルという高い塔にもなれば、その「面積」と「高さ」という条件を満たすだけでも難しい(面積が狭くかつ求められる高さが高いほど、難易度が上がる)。数値を満たしていかに立たせるか。基本的な構造の成り立ちをまず考え、火災、地震、台風、水害のような自然災害にも耐える構造を探していく。もちろんコストや工期の縛りもある。

設計者は、しばしば「解く」という表現を使う。

条件が厳しければ厳しいほど「解き方」は少なくなるはずだ。といっても、複数の設計者がいれば(いわばコンペのような形であれば)「全く同じ」になる確率は限りなく低い。

そう、「解き方」は千差万別であり、「解き方」の差を生むのは多くの場合「美しさ」である。……と言っても過言ではないだろう。

設計は、空白を埋めるものである。無の場所を有に変えるものである。その意味で「解く」という言葉はやや奇妙にうつるかもしれないが、「与えられた条件の中でいかに美しく解くか」が彼ら(構造家)の興味である。

言い換えると、「いかに無駄なく、無理なく、かつ独創的な構造を創れるか」ということなのだ。


ABC予想は「塔を立てる」よりも遥かに難しい問題だったのは明らかだろう。

しかし、数学の証明というのはある意味で「設計」にも似た、無を有に変えるような創る/組み立てる類のものであり、それゆえに実はかなり独創的なものになりうるのではないか。読めば読むほどそう感じた。

私が高校数学で経験した程度の証明問題でも、証明は人の数だけあったと思う。自分も「いかに美しく整然と証明するか」という挑戦こそを好んでいた。

当時は「作文」に近い感覚、つまり「メッセージとしての美しさ」なのかな。と思っていた。確かに高校数学のように解が明らかな場合は、メッセージの比重が大きいかもしれない。しかしこの本を読むと、難度の高い証明には「伝える」以上に「組み立てる」と言い表せるような創造性があるに違いないと感じた。

すでに明らかとされている公理や定理が部材となり、果てしなく高い塔を立てるように……。構造設計でいうならば、IUT理論の新しさは「四次元の塔」並みの衝撃だったのかもしれない。

数学の「正しさ」や「美しさ」は著者がずっと語っているテーマだと思う。

「難問の証明」などという前人未踏の道を歩むうえで数学者たちが何を道しるべにしているのか?という話を、「自然であること」(腑に落ちること)という言葉で説明していたのが印象的だった。

長年の経験によって、進む道が「自然」かどうか見えてくる──という感覚は、よく理解できる。それは恐らく、数学の(あるいは数学に限らない全ての物事の)「美しさ」や「正しさ」につながる話だろう。

「自然であること」と「美しさ」と「正しさ」は密接に絡み合っているのではないだろうか。

「美しさ」の条件が「自然であること」でもあり、「正しさ」の条件が「美しさ」でもあり、「自然であること」はすなわち「正しさ」でもある……

この胸を踊らせてくれるテーマを、まだまだずっと追いかけていきたい。


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