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脳にこびりつくラストシーン

■ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録』


自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは、司教が船で着くのを待つために、朝、五時半に起きた。

『予告された殺人の記録』P.7

この短い小説は、上のような一文で始まる。殺人事件の真相を追うミステリー風のストーリーでありながら、冒頭で「誰が殺されるか」わかってしまう

殺されるのはもちろんこのサンティアゴ・ナサールという男性だ。

では、なぜ彼は殺されたのか?誰に、どうやって殺されたのか?──実はそれすらも比較的早い段階でわかってしまう。


じゃあ、この小説は一体何が面白くて読むのだろうか?


読んで感じる面白さは人それぞれなので、以下に書くのはあくまで私の主観ですが……この小説を支えているのはガルシア=マルケスの「展開力」だと思う。

小説に限らず映画でも漫画でも、ストーリーのあるところに必ず「展開」がある。大きくはプロットから小さくは仕草まで、展開の細かさは無限に分解できる。

その中でも私が本作で感じた「展開力」は「コマ送りの巧さ」と言い換えられるかもしれない。原因→結果、感情→行動、といった因果関係がいくつも連なって転がっていく様子の描き方が、他の作家以上にドラマチックで個性的に感じられた。ドラマチックでありながら理路整然としている点も個人的には好みだ。

「展開」を読む面白さがあるから、結果がわかっていても問題はない。コマを追いながら、

──次はどうなるんだろう?どのように“あの”(冒頭一文の)結果にたどり着き、その先には何があるのだろう?

とハラハラドキドキしてしまう。

犯人は誰か。動機は何か。そういったミステリ一般の揺さぶりとは別次元の興奮だ。

彼のこうした能力は、以下『物語の作り方』でも感じられる(もっとも私は物語を作ったことがないので、本当の意味でのすごさは実感できていないのだろうけれど)。

──

さて、そうして転がりついた先のクライマックスで、当然殺人事件が起きる。そのシーンの迫力がまた凄い。「凄み」って言葉はこういうときに使うんだろうなぁ……と思う。

『エレンディラ』を読んだ際にも思ったけれど、度を超えて残酷なはずのラストシーンなのになぜだか、美しい音楽が聞こえ、花の香りが漂うよう。ガルシア=マルケスの魔法かもしれない。

早く『百年の孤独』を読みたいな。


編集後記

クリスマス・イブの夜にこんな物騒な本のレビューをしてしまいました……!長く書けずにいたレビューなのでどうしても年内に書きたかっただけで特に意味はないのですが、ギョッとした方がいたらごめんなさい。

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