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言葉というメディウムをもつ盲目の人

■ホルヘ・ルイス・ボルヘス『七つの夜』


ボルヘスが七夜にわたって講演を行なった記録。以前書いた『語るボルヘス』と似た形式だ。七つのテーマは以下の通り。

「神曲」
「悪夢」
「千一夜物語」
「仏教」
「詩について」
「カバラ」
「盲目について」

(『語るボルヘス』よりも全体的にややとっつきにくいテーマかもしれない)

ボルヘスは、自他共に認める「記憶の人」である。多読な上に記憶力がとてもよく、様々な作家や作品を脳内にストックしているようだ。

私は記憶力が非常に悪い人間なので、固有名詞がたくさん出てくると混乱してしまう(歴史が大の苦手)。だから、ボルヘスを読むとたまに「ついていけない……」と思う時があるが(笑)、それでもやっぱり独特な思考のクセが好きで読みたくなる。

面白い話がたくさんあったけれど、今回は「盲目について」にフォーカスしてみる。

ボルヘスは、視力を失った。

正確な年齢を知らないが、この「盲目について」によるとアルゼンチンの国立図書館長になった後というから、成人してかなり時間がたっていたことは間違いないだろう。

この章でボルヘスが語っているのは、簡単にまとめると「視力を失ったが、代わりに得たものがある」というようなことだ。例として語学を挙げている。視力を失ってから習得した言語があり、それが晩年の彼の悦びの一つだったらしい。おそらくは自身の創作の糧にもなっただろう。

ボルヘスは英米文学を教えていたぐらいだから(母国語はスペイン語)、もともと語学の習得に長けていたと思う。しかしそれはそれとして、「視力を失う」というショッキングな状況を受け入れる姿勢に、彼らしい哲学を感じた。前向き──という言葉はすこし陳腐に過ぎる。もう少し貪欲なのである。


以下の文章を読むとわかりやすい。

私も自分の運命が、何よりもまず文学的であると常に感じてきました。つまり私の身には悪いことはたくさん起きるが良いことは少ししか起きないだろうという気がしたのです。でも結局のところ何もかも言葉に変わってしまうだろうということが常に分かっていた。とくに、悪いことはそうなる、と。なぜなら幸福は何かに変える必要がない、つまり幸福はそれ自体が目的だからです
(P.211)
作家あるいは人は誰でも、自分の身に起きることはすべて道具であると思わなければなりません。あらゆるものはすべて目的があって与えられているのです。この意識は芸術家の場合より強くなければならない。彼に起きることの一切は、屈辱や恥ずかしさ、不運を含め、すべて粘土や自分の芸術の材料として与えられたのです。それを利用しなければなりません
(P.219)

僭越ながら私は、自分もこの思想にかなり近いと感じた。同じことを考えながら生きてきた(と、思う)。

何か辛いことがあった折には──失明ほどの辛い経験はまだないけれど──すべて創作の糧であると考える。創作といっても詩や小説のようなフィクションを書くわけではないが、「この経験をいつか有効に使えるかもしれない」という(ちょっといやらしい)思考を無意識のうちに抱いてしまう。

でも結局のところ何もかも言葉に変わってしまうだろうということが常に分かっていた。とくに、悪いことはそうなる、と。なぜなら幸福は何かに変える必要がない、つまり幸福はそれ自体が目的だからです。

「何もかも言葉に変わってしまうだろう」という表現は的確である。そのような予感を抱いているから、耐えられる。私自身そういう経験が何度もあった。


たまたま、荒木経惟『センチメンタルな旅・冬の旅』という写真集(/エッセイ)を久しぶりに開いたばかりだった。

これを見るときいつも(いつもいつも号泣してしまうのだが)、感じる。荒木が写真家であることは一種の「業」のようなものなのだろう、と。

最愛の人が死にゆく過程、死の日、死んだ直後、葬式……と、彼はシャッターを切りつづける。いや、「シャッターを切らずにはいられない」のだ。

普通の人にとっては、不謹慎なことだと思えるかもしれない。例えば配偶者の死の瞬間にシャッターを切っているのを目にしたら「本当に悲しんでるの?」と思うかもしれない。ドン引きするかもしれない。

しかし、深い悲しみや苦痛を、荒木の場合は「写真」というメディウム(媒体)に載せる“しかない”のだ。と私は思う。

ボルヘスにとってはそれが「言葉」なのではないだろうか。

ある意味で、そのような“もの”を持てることは、幸福なのかもしれない。

また別の意味では、苦しいのかもしれない。

今の私にはまだどちらとは言い切れない。

芸術家の仕事にとって、盲目はまったくの不幸というわけではない。それは道具にもなりうるのです。(P.219)

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