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主題も感情もない物語

■フランツ・カフカ『変身』

読んだ後に、

「うーん。感想がない。」

と悩んでしまった。感想が浮かばないから書くのをやめようかと思ったけれど、この「感想の書けなさ」をもう少し掘り下げてみよう。

ストーリーは非常に有名で、一言でいえば「人間がある日突然虫になってしまう」という話である。起承転結がわかりやすい物語だけれど、おそらく多くの人が私と同じように、「はて……これはどう語ればよいのだろう」と悩むのではないだろうか。

その理由は主に二つあって、

1・主題がわからない
2・語り手の感情がわからない

である。わかりやすいストーリーでありながら、主題と感情の不在によって、読み手は迷子になってしまう。


カフカのこの書き方によって気づかされたのは、私たちが物語を読むときに、狭義の「ストーリー」──つまり「何が起きたか」という事実だけを追いかけているのではない。ということだ。

一般的に物語においては、事実だけでなく、登場人物あるいは語り手の感情が乗せられており、その根底に作者が伝えたい主題が見え隠れしている。だからこそ私たちは「読める」のではないか。

にも関わらず「物語=出来事の流れ(狭義のストーリー)だ」という認識がわりと一般的なように思う。

例えば夏目漱石の『こころ』を思い出す時、あるいは誰かに概要を語って聞かせる時に、私たちは

「先生とその友達のKっていう人がいて、二人は同じ女性に恋しちゃって、つまり三角関係になるんだけど、先生がね……」

という風に「何が起きたか」を語るのではないだろうか。

だが、もし『こころ』がそのような事実だけを並べた物語だったとしたら、私たちはカフカ『変身』を読んだ後と同じように、「うーん」と悩んでしまうかもしれない。

この作者は、この出来事を通じて、何を語ろうとしたのか?

感情の描写がなく、主題をチラリとも見せてくれないので、私たちはゼロから思考せねばならない。

・ある日突然虫になることの恐怖?
・虫はメタファーであり何かを暗示しているのか?
・家族との関係がうまくいっていなかったことの示唆?
・仕事にストレスなり強迫観念のようなものがあった?
・人間と動物の違いについて?

色々な可能性があると思うのだが、考えるきっかけが不足していると感想すらも抱きづらいものなのだとわかる。

ここで、どれかの可能性に的を絞って語ってみることもできるのだが、正直なところ有力な候補がみつからなかった。私には、カフカがこの出来事を通じて言わんとしたことがなんなのかまったく見当もつかない。自分自身の中で感情の変化はあったが、それは本質を掴んでない気がしてしまう。(あと、ネタバレになるので書けない。)

先日クンデラ『存在の耐えられない軽さ』のレビューでも“感想が書けない現象”が起きたが、向こうは「感想がたくさんあるけれど言葉にならない」でありこっちは「感想がない」なのだ。

私は今、この『変身』と化学反応を起こすモノを持ち合わせていないということかもしれない。

そうかと言って、他人の解釈をググって「あ、そういう主題だったのね」と納得するのもなんかシャクなので(現代文の試験のような「正解」はないと思いたい派なので)、とりあえずググらずにこれを書いておく。


音楽にこれほど魅力されても、彼はまだ動物なのであろうか。 ー 94ページ

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