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ダイダロスの比喩と太陽の比喩

■プラトン『メノン─徳(アレテー)について』


光文社古典新訳文庫では、アリストテレス『ニコマコス倫理学』とセネカ『人生の短さについて』を読んだことがあり、哲学書を読むなら光文社!というぐらい気に入っている。なので、プラトン入門も当然光文社から。

さてさて、この『メノン』。翻訳のおかげかもしれないし、対話形式だからかもしれないが、とても読みやすい。

しかし──「読みやすい」のと「理解している」のは、違う。と今回、強く感じた。

……というのも、光文社古典新訳の特徴の一つに「丁寧な解説」があって、この『メノン』も例に漏れず一冊の半分近くが解説という贅沢でありがたい構成なのだが(そして解説もいつも読みやすくわかりやすいのだが)、今回は解説のほうが難しかった

正確にいうと、解説を読んだ結果、「読みやすい」と思ったのは表面しか読めていなかったからであり、深く考え出すと「難しい」ことがわかってしまった。

これぞまさに無知を知った瞬間だ!と感動してみたり。笑

そんなわけでまだまだ理解できていないが、他の哲学書を読んだり経験を積んだりしてから、帰ってくる場所なのだろう。深みのある一冊だった。


解説がなければ私は『メノン』の対話の意味をほとんど理解できずに「プラトンって意外と読みやす〜い」とか言っていたかもしれない。ソクラテスの人柄や当時のギリシアがどのような背景だったかもわかって理解が深まるので、解説も含めておすすめの本です。

特に印象的だったエピソードが二つある。

それは「ダイダロスの比喩」と「太陽の比喩」だ。

ショーペンハウアーが「比喩が上手いって大事なことだよ」と言っていたので、それ以来「比喩が上手い」人を探している。ソクラテス先生も比喩が上手いなと感じた。


まず「ダイダロスの比喩」(こう呼ぶのかはわからないけど)。

ダイダロスは、ギリシア神話に出てくる彫刻家である。あまりの躍動感ゆえに彼のつくった彫刻は動き出してしまったらしい。

ソクラテスはこう言う。ダイダロスの彫刻は動き出してしまったら所有していることにならないから、「縛りつけられている」状態でこそ価値がある。同様に、私たちの知識もただ入手しただけではよろしくなく、原因の推論によって「縛られている」状態になってはじめて価値が出る──

いったん縛られたならば、それらの考えは初めに知識になり、しかるのち、安定的に持続するものになる。(P.146)

この表現がとても良いと思った。

私は暗記が大の苦手で、理屈がわからないと全く覚えられないのだが、そのようにしっかり理解して自分の骨肉となった知識が「縛られている」と表現できるということに感銘を受けた。たしかに骨肉となったのは「縛られた」知識であり、付け焼き刃の暗記ではない。

ダイダロスのことを知っている人は多くないかもしれないが(私もつい最近知った)、当時はたぶん常識だったのだろう。適切な比喩を用いて他人の脳内にビジュアルでイメージさせることの重要性を感じた。


もう一つは「太陽の比喩」。

こちらは本編に出てこない。解説においてプラトンの別著『国家』から引用し、説明されている。

太陽が〈見る・見られる〉という関係全体において光を提供することでその全体の原因とみなされるように、そのように〈知る・知られる〉という関係の全体を検討するとき、善こそ「知られるもの」に真理性を付与し、「知るもの」に知る力を与えるものだというのです。(P.251)

プラトンは、「善」を「太陽」と同じような役割を果たすもの──と説明した。

「太陽」は、その光によってあらゆるものを明るく照らす。だから私たちはものを見ることができる。暗闇ではものが見えない。

同様に「善」は〈知る・知られる〉という行為を明るく照らし、透明度を高める役割を果たす、とソクラテスは言った。つまり、「太陽」がない世界では何も見えないのと同じように、「善」のない世界は〈知〉がモニョモニョと暗く存在していて明瞭ではない。「善」があってはじめて〈知〉が澄んで見えてくる。という感じ(だと思う)。

この例えも上手い。

「善」という、捉えどころのない曖昧で抽象的な概念が、一瞬にして人類全員の理解しうるところとなる。単に言葉を重ねるのではなく、比喩によってパッとイメージさせること。この能力は確かに大切なものだなぁと感じた。

全体の主題からはややズレたレビューになってしまったけれど(いつもか)、哲学の入門書として身構えずに読めて深みにもハマれる一冊だった。続いてプラトンの『ソクラテスの弁明』『饗宴』などもぜひ読みたい。

↑光文社古典新訳文庫のプラトン著作一覧があります。

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