「想像というのは鳥のように自由で、海のように広いものだ。誰にもそれをとめることはできない」
■村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉』
「想像というのは鳥のように自由で、海のように広いものだ。誰にもそれをとめることはできない」(P.234)
たしか二十歳前後のころ、初めて読んで感銘を受けた物語だ。それから10年以上、再読することがなかった。
最近、古今東西のさまざまな文学に触れるようになり、私の中で『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の、ひいては村上春樹という作家の地位が下がりはじめていた。
「あの頃は感動したが、成長した自分の感性では、違うかもしれない」と疑いはじめていた。村上春樹という現代を生きる人気作家を、素直に応援しがたいという天邪鬼な感情だったかもしれない。
さて、成長した私の感性はというと──
何も変わっていなかった。
「なんだこれ、めちゃくちゃ面白いじゃないか!」
と沸き起こる興奮を抑えることができなかった。
そう。この物語は一言でいえばめちゃくちゃ面白いのだ。何がどう面白いかなどといちいち解説するのが億劫になるほどである。
「いいから、つべこべ言わずに読んでください。これが面白くないと感じるのなら、もう村上春樹は一冊も読まなくて大丈夫です」
と断言してしまいたくなる。つまり私にとってこの作品は、当時から変わらず、村上春樹の最高傑作だ。
合う・合わないがあると思うので、合わない人には無理かもしれない。しかし『ノルウェイの森』を読んで「無理」と思った人も、これを読めばイケるかもしれない。とにかくこれが一番面白いし、これこそが村上春樹の真髄である。
◎
……というわけであまり書くこともないのだが(まだ上巻しか読んでいないし)、すこしだけ私が好きなポイントを記してみたい。
この作品は、タイトル通り「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」という二つの世界が並行して(章ごとに、交互に)描かれていく。
その構成自体、よくできており感心してしまうのだが、なんといっても好きなのは「ハードボイルド・ワンダーランド」のほうだ。若干内容に触れているので(核心のネタバレではないです)、読みたくない方はご注意を。
・
主人公の「私」は「計算士」という職業に就いている。ハードボイルド・ワンダーランド内での地位も相当高く、高度な能力を求められる職業だ。高給取りのようだ。
彼らは、端的にいうと自らの脳内で「暗号化」を行うのが仕事である。
一般的に、暗号というものには「鍵」が必要だ。秘密にしたい文章(=平文)があり、それを「鍵」を使って暗号化する。読むときは逆に同じ「鍵」を使って解読する(復号する)。
この「鍵」の扱いが問題である。家の鍵と同じで、常に携帯していなければ開けられないし、かといって紛失したら自分ですら入れなくなり、拾った人には侵入されてしまう。デリケートな存在なのだ。
「計算士」はこの「鍵」を、形として残さない。彼らは、自らの脳内に独自の「鍵」を有している。それは(雇用している組織を除いて)本人しか知らないので、暗号化も解読も本人しかできない。
これは一見して確実なセキュリティに見えて、実は非常にリスキーである。
一般的な暗号の「鍵」が数字やアルファベットのような情報として決定されるのに対し、彼ら計算士の「鍵」はより脳・心・身体と直結した人間的なものだから、その人間自体が狙われる可能性があるのだ。
案の定、計算士である「私」は何者かに狙われることとなる──。
・
……とまあ「ハードボイルド・ワンダーランド」の側はこんな感じでハイパーリアリスティック(とみせかけて実際はワンダーランド)。
一方の「世界の終り」は対照的に、静かで、ほの暗く、幻想的な世界として描かれる。
同じ作家なのにここまで筆を使い分けられるというのも、この作品の厚みを生んでいるポイントだろう。村上氏は「2」という数字、つまり偶数を用いた構成が多いが(『1Q84』も2だ。『色彩をもたない〜』は4である)、中でも本作が最も成功していると思う。
とりあえず、読んでみて損はない。もし損したと思ったら、もう二度と村上春樹は読まなくていいだろう。それくらいよくできた「村上春樹の作品」だと私は思っている。
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