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「人生にはいろいろの喜びが与えられている。しかしその最も大きな喜びの一つに僕は捕虜になった」

■武者小路実篤『愛と死』


人生にはいろいろの喜びが与えられている。しかしその最も大きな喜びの一つに僕は捕虜になった。(P.42)

これほどまでにストレートに瑞々しく恋愛を描ける男性がいるものなのか。という驚きがまずある。

武者小路実篤が書く文学は、その物々しい名前とは裏腹に、とても読みやすい。もったいぶった哲学や堅苦しいお説教は抜きにして、彼はただひたすらに「恋愛」を書く。もっと言えば、「恋愛に夢中になる男心」を描く。

自分はもっと夏子と話がしていたかった。話の内容が自分を面白がらせたというよりもぽつぽつ話をしている事が嬉しかった。もっと露骨に言うと、夏子の美しい顔や姿や、その生々した表情や、きびきびした動作を見ることがたのしかったのだ。更に正直に言うと、心と心を何処かでふれあうことが喜びだったのかも知れない。もっと本当のことを言えば、僕はもう夏子を愛していたのだ。(P.24)


各国の、様々な純文学を読んでふと武者小路実篤を読むと、自分がいかに「文学」のありように対して身構えていたか気づかされる。

彼の言葉はとてもまっすぐで、かろやかで、偽りがない(あまりに素直だから逆にあやしいと感じてしまう私は汚れているのかもしれない)。

〈恋愛〉。

それだけで、主題になりうるのか。と、はっと気づかされる。

好きだ。愛している。会いたい。大切なひと──。そういった言葉たちが真っ直ぐ並べられることは意外に珍しいことではないか。

さてこの『愛と死』、題名のとおり、愛と死が主題となっている。ストーリーはほぼタイトルのまま。一切の誤魔化しがなく、読者に対する悪戯もハッタリもない恋愛小説である。

個人的には、ちょっとこそばゆくなってしまい落ちつかないような愛の言葉のオンパレードだった。この種の〈愛〉は私の手に余る主題だった気がする。

しかし〈死〉については、考えさせられた。

死んだ者は、もう何も考える必要がない。ある意味で苦しみとは無縁である。辛いのは残された者、生きる者である……という話に、納得した。

「人生にどうして死という馬鹿なものがあるのか、僕は本当に腹を立てたり、悲しんだりするのも事実だ。しかしそれは生き残ったものの心理で、死んだものの心理とは思わない」(P.104)

納得したけれど、一方で、

ではなぜ私たちは死を恐れるのだろうか?

とも疑問に思う。死によってすべての苦しみから解き放たれることを頭では理解しているのに、それでも恐怖が消えることは決してない。私がこの世で最も恐れるものが〈死〉でないと言ったら嘘になる。


〈死〉とは何か?

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