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作家の老成と劇化

■アガサ・クリスティー『象は忘れない』

久しぶりのポアロシリーズ。長編全33作品のうち、最終作『カーテン』を除いて最後に位置するのがこの『象は忘れない』だ。しかし実際は『カーテン』の方が先に書かれていたとのこと。というわけで執筆順では『象は忘れない』がポアロシリーズ最後の作品らしい。

刊行されたのは1975年、当時のアガサ・クリスティはなんと85歳!これには驚いた。85歳になってもこんなにキレのある物語を書けるものなんだ。いかにもクリスティらしい頭脳明晰さに感心する。

しかし、正直に言ってしまうと、この作品はやや「老成しすぎている」という印象だった。

ストーリーに不満があるわけではない(ちなみに一つ前に読んだ『メソポタミヤの殺人』はトリックに不満がありすぎて、愚痴になりそうで感想が書けていない笑)。よくできているし、まとまっている。

でも──彼女らしいぶっ飛んだトリックも、アッと驚かせる結末も、細やかな人間心理の描写も、それらをまとめ上げるための精緻なプロットも、どれもが少しずつ欠けていたように思う。


もしかしたら、この作品は少し「劇化してしまっている」のではないだろうか。

私がアガサ・クリスティを読んで「良いな」と感じるのは、小説だからこその、表現あるいはプロットの独創性だ。ドラマや映画も世間的に人気だと思うけれど、いくつか観たポアロシリーズのドラマ/映画が小説より優れていると感じたことは一度もなかった。

特に、『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』のような人気作品は、小説だからこそのスリルや面白さが力強かった。私が(今のところ)一番面白いと思っている『五匹の子豚』もそうだ。それは小説だからこそ活きるトリックと結末であり、そこには、小説だからこそ際立つ人間心理の奥深さや、探偵の推理における苦悩があった。

この『象は忘れない』は、映画のノベライズと言われても違和感がない。「小説」という手法──紙をめくり、書かれた文字を辿る、という形態──によく言えば依存しない作品となっている。悪く言えば、「小説らしさ」に欠ける。

多くの作品を描き、多くのファンが生まれ、多くが映像化され、それでもなお「小説らしさ」に固執することは意外と難しかったのかなぁ。なんて考えたりしていた。一作品前の『ハロウィーン・パーティー』もそういえば、同じ印象だった。

もう一つ物足りなさを挙げるならば、ポアロの解き方があまりにスマートな点。『ABC殺人事件』のように窮地に立たされるポアロ、あるいは『ナイルに死す』のように過干渉オジサン気味のポアロ──などに比べて、サラッとしていたかな。

なんだかあまり良いレビューにならなかったけれど……最初に書いたように85歳でここまで書ける知力体力はものすごいし、これだけ多作ながら一定のクオリティを保てる点も立派だと思う。

そして読むという行為自体は、いつも通り純粋に楽しかった。放っておくとついつい「暗い・重い・難しい」の三拍子に陥りがちな私の読書体験において、ポアロシリーズ読破という目標は、すこし気分を楽にしてくれる。

このペースでは『カーテン』を読める日はまだまだずいぶん先のようだ。

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