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【読書】のマガジン

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2021年5月の記事一覧

読書感想文一覧【随時更新】

noteに投稿した読書感想文が増えてきたので、自分の整理も兼ねて一覧にしてみました。随時更新します。脱線している場合も多いですが、気になる本があればぜひ読んでみてください。 2022年■アミール・D・アクゼル『「無限」に魅入られた天才数学者たち』 ■有元葉子『レシピを見ないで作れるようになりましょう』 ■ジョージ・オーウェル『一九八四年』 ■ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』 ■日高敏隆『ネコの時間』 ■加藤文元『人と数学のあいだ』 2021年■志賀直哉『暗夜行路』

純文学を愛する理由が突然わかった朝のこと

今朝、電車の中でポール・オースター『幽霊たち』を読んでいたときに、突然きた。それは稲妻のように突然で鋭い感覚だった。 なぜ、純文学が好きか。突然、わかった。 ちょっと小難しいから? 筋があいまいだから? ブンガク的だから? かっこいいから? 教養として? 違う!違う、全然違う。 純文学は、作家の魂の叫びだったのだ。私は、その魂の叫びに耳を傾けて、言葉を摂取しているんだ。そうして、一人一人の作家がどのように生きていたか、どのように世界を見ていたかという「目」そのものを集

痛快なまでの「天才」論!

■ショウペンハウエル『知性について』 ショーペンハウアー先生(なぜか先生をつけたくなる)の著作はこれまでに『読書について』と『幸福について』を読んだけれど、それらと大きく変わらない、相変わらずのキレキレな口調。 「先生……凡人からよっぽどひどい仕打ちを受けたのですか?」 と聞いてみたくなるくらい、とにかく凡人蔑視が強烈。笑 あまりにも潔く差別しているのでもはや腹も立たず、一周回って笑ってしまう。どのくらい強烈かというと、 過去や同時代の偉大な精神たちの傑作というものは

引用は手で集めたい

私は、読んだ本の中で気に入ったフレーズ(引用)をひたすら集めています。 これは趣味のようなものかもしれません。noteに記事を書くときに挿入あるいはタイトルに使用することもあるけれど、それ以外にも、かなり大量の引用をストックしています。 たとえばこんなふうに。 僕はとうとう芸術とはほんとうに何のためのものかということが、少くともある意味で理解できたのだ。芸術とは人ひとりに喜びを与えるものだ。それに心酔するあまり幸福になったり、憂うつになったりするような、そんな力のあるも

「だから僕はこんなに場違いな気持で、孤独のような気持がしたりする」

■サン=テグジュペリ『夜間飛行』 「今夜は、二台も自分の飛行機が飛んでいるのだから、僕にはあの空の全体に責任があるのだ。あの星は、この群衆の中に僕をたずねる信号だ、星が僕を見つけたのだ、だから僕はこんなに場違いな気持で、孤独のような気持がしたりする」 ・ 今日はスーパームーンと皆既月食が重なる日らしい、この二つが重なるのはとてもレアなんだって──という話で昼食時に盛り上がり、夜。待ち望んで東京の空を見上げてみたけれど、生憎の曇り空で月自体が見えなかった。 でも最寄り駅

「愛する相手の瞳に自分の姿が映らない女の気持ちって、いったいどんなものだろう」

■レイモンド・カーヴァー『大聖堂』 愛する相手の瞳に自分の姿が映らない女の気持ちって、いったいどんなものだろう。愛する人から、かわいいねとか、そういう賞賛の言葉ひとつかけられることもなく、ただ延々と日々を送りつづけることのできる女。(「大聖堂」) この短編集は、すごくよかった。特に表題作の「大聖堂」が、本当に素晴らしかった。 短編集というスタイルを長編に劣らず好んで読んでいるけれど、ここまで出来の良い短編はちょっと思い出せない。それくらい良かった。 でも、あんまりベタ

天才とは、99%の努力を心の底から楽しめる人である

■リチャード・P・ファインマン『ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉〈下〉』 僕は考えるということが愉快でたまらないという人間である。だからこんなにまで人生を楽しませてくれるすばらしい機械である僕の脳を、こわしてしまいたくないのだ。(下・P.27) ファインマンさんに恋をした。「恋に落ちるのは一瞬」とは、よく言ったものだ。 「ファインマン?誰だか知らないけど、評判がいいから読んでみよう」 と軽い気持ちで手に取ったこの本。「物理学者のエッセイというからには、小難しいん

〈興奮〉ではなく〈退屈〉から幸福を得るという生き方

■バートランド・ラッセル『幸福論』 以前読んだショーペンハウアーの『幸福について─人生論』と比べると、同じ幸福論でも大きな思想の違いが見てとれた。 一言でいえば、ショーペンハウアーの幸福論が「(やや)ネクラで知識層向け」であるのに対し、ラッセルの幸福論は「ネアカで一般大衆向け」である。 ショーペンハウアーの主張は「他人との関わりを断ち、一人で精神的思索に没頭する喜びを追求せよ」だった。一方でラッセルは「意識を外に向け、他人と友好に関わり、考えすぎるのをやめろ」という主張

一体、誰が演じている?|演出型ミステリーの魅力

■アガサ・クリスティー『予告殺人』 「殺人をお知らせします──」 突然地方紙の個人広告欄に掲載された、ギョッとするような広告。殺人が起きること、その時間、場所が「予告」される。 さてこの「お知らせ」通りに殺人は起きるのだろうか? ポアロシリーズの人気作『ABC殺人事件』を彷彿とさせるような、センセーショナルで非現実的な事件だ。私はまずその、読者を一気に惹きつける設定に「これこそアガサ・クリスティだなぁ」と感心した。難しいことを抜きにしたスリルが体験できる。 殺人犯は