見出し画像

『M3GAN ミーガン』を見て、ちんちんを想ったり、人を殺したことのないドラえもんのことを想った話

『M3GAN ミーガン』という映画を見ました。

 これを見て、ドラえもんと、ちんちんのことを思ったんですよね。
 ネタバレを、当たり前の顔でするので、詳しい感想は次の花の写真の後に書きます。

 私は男性で、性的な嗜好は若い女性に向かっています。
 また私は若い女性を、つよく性的な目で見てしまう人で、常日頃から過度に性的な事を想う事が多く、このnoteも男性器(ちんちん)の名前を冠しているタイトルであり、つまり、女性に対して性加害者にいつでもなりうる人が、今これを書いています。

 で、この映画、「女性型の子供向け教育機能付き自立型コミュニケーションロボットが殺人などいろいろ引き起こすお話」なのですけど、こう、真っ先に、「このロボが本当に発売されたら、性的な目的で購入する人がいるだろうなあ」と思いました。

 映画では、徹底的にそのへん、喚起しないようにしてるなと思って。
 ミーガン(ロボ名)は、両親を事故で亡くした女子児童と、ロボット開発者の女性科学者の二人暮らしの家で生活するのですが、隣人もおばさん。この共同生活に、男性がいないなあと思った。

 男性がいたら、ノイズになっちゃうもんな。テーマじゃないし。なんかこう……俺だったらどうしても、性的な目で見てしまう事があると思う。

 劇の中盤、女子児童が野外フリースクール? みたいな場所に行かされる。教育ロボ兼友達として依存するくらい懐いていたミーガンと一緒じゃなきゃ嫌だという事で、やむなくミーガンも人形のふりをさせて一緒に行くのだが、その時、情緒不安定な男子(11歳くらいかなあ)が、女児に対していじわる目的でミーガンを連れ去るんですよね。
 で、馬乗りになって、殴ったり、靴を脱がせたりするわけですね。

 性的に危うい気持ちになった。あーって。
 映画の序盤から、ミーガンが開発されているところから見てるわけだから、ロボを、そんな目で見てなかったのに、確かに、意志があり、容姿が女性で、可愛らしかったら。そしてこの男子がもっと性的な興味が湧く年齢だったら、別な事をしていただろうなと思った。
 これ本当、そういう目で見る映画じゃないし、本当男性として、恥ずかしく、ひどい映画の観方をしてしまうけど、そう思ったんだよなあ。

 案の定、この男子はミーガンによって殺される。
 つまりあの時、映画を見ていた私は、あの時殺されたんだなあと思った。

 ふと、俺、ドラえもんでも発情できるのかなあと思った。

 劇中のミーガンと、藤子不二雄の作である『ドラえもん』のドラえもんとは、共通点が多い。

 まず、子供に対して「教育」の要素があるロボだということ。しかし、大人のような立場ではなく、対象者と同じような年齢設定で、対等な立場で接しているという事。子供たちは、両親や保護者には話せない本音を語りやすい存在であること。
 ミーガンは、形を変えたドラえもんだなあとも思った。でも、ドラえもんとは決定的に異なることは、殺人を犯すという点である。

 ドラえもんは、殺人を犯さない。地球破壊爆弾を取り出し、ネズミ駆除を行おうとした事や、鉄人兵団に向けて空気砲をぶっ放したことはある。
 だが、のび太がいかにピンチになろうとも、人間を殺害を試みようとはしなかった。
 それはドラえもんが教育ロボットとしての矜持からか一線を守り、ロボットである事に強いアイデンティティがあったからだろうか。

 いや、ドラえもんは時々「僕はネコだ!」と主張し、生身の猫に恋愛感情を抱くというエラーも起こしている。猫は殺人をしないから、たまたまドラえもんは殺人を犯さなかったのか。ドラえもんがミーガンのように、「私は私を愛する」瞬間、シンギュラリティが起きたとき、人間や、のび太に、手をかけるような瞬間があったのだろうか。

 ミーガンは、けっこう短絡的に犬を殺し、人を殺す。
 いかに女児が不利な立場になったとはいえ、殺人を犯したら女児の立場がもっと危うくなるって想像力がなかったのか。これは、単に製造され、ロールアウトされてからの期間が短かったからなのだろうか。

 その点ドラえもんは製造され、セワシという未来人を約10年間ベビーシッターしたという経験があってから、のび太のもとに派遣されたという経歴がある。
 教育者である自分が殺人を犯すという事の重大さを、ドラえもんは長い時間の流れの中で、知っていたのかもしれない。それは、稼働年数によってはぐくまれた感覚なのだろうか。

 だが、ミーガンの危うさって、殺人を犯すか否かではなく、保護対象と過剰な近さ……依存されやすいという事なのかもなあと思った。
 これは劇中でも明確に示されていた。女児のカウンセラーが愛着について語るセリフもあったし、ミーガンと引き離された女児が暴れ回り、はさみを持ってミーガンとの会話を求めるシーンは、俺、すごい怖いと思った。依存症の子供の姿って、すごい怖い。遠い異国で、覚せい剤漬けになった児童労働者が、薬物が切れたらあんな感じになるのかなあとか。

 のび太とドラえもんって、依存の関係になってなかったのかなあ。

 ドラえもんのエピソードの中に、「ミチビキエンゼル」という魔道具が出てくる回がある。

 これ、対象者の左腕に装着させられると、常に「その人にとって一番ためになる答え」を指導してくれる教育的プログラムで、卓越した未来予測機能で、装着者に都合のいい答えを教えてくれる。
 なので、装着者はミチビキエンゼルのいう事を聞かないではいられず、依存状態を作り出されてしまう。
 だがそれは、「もっとも自分にとって利己的な答え」が出てくるため、例えばドラえもんが故障して辛がっている時にのび太が寄り添おうとしたとき、「そんなことより宿題をしなさい」と導かれてしまう。

 のび太は、ミチビキエンゼルの依存から離れ、故障したドラえもんを助けるという利他行為をすることで、エンゼルの依存を断ち切った……という感じになるんだけど、これ、ドラえもんへの依存に戻ったことにならないか? とふと思った。

 ドラえもんとのび太の関係とミチビキエンゼルとの関係、そしてミーガンと女児の関係は、何が違ったんだろう。

 最初の性的な話に戻るけど、俺、女性に対して、依存と性の二つの目で見てしまうなあって思った。いや女児の姿をしていようが……バービー人形には何の発情もしないけど。
 そこに、意志と、自律的な動きと、絶対に自分に対して攻撃しないでお話を聞いてくれる存在、が肉体を持った者に対して、発情してしまう感じある。
 だから、ドラえもんにも十分、性的な目を向けるだろうなあと思うし、R2D2とか、知能のあるポケモン(伝説級の奴)とかにも、性は問わず、性的な目を向けるかもなあと思った。

 それはなぜか。
 やっぱり、他者を尊重しない対等さというか。相手はロボで、いつだって殺していいという感覚が根底にある。
 というか、俺、性的な目で見る女性を、「殺していいかも」って心の底で思っているのか……?

 女児も最後、暴走するミーガンに、遠慮ない一撃を加えてミーガンを真っ二つにする。
 そりゃあ、相手は暴走殺人マシンだし、何ら罪には問われないとは思う。  でも、あ、そうか、殺せるんだ、この女児は、ミーガンを、って思った。

 のび太だったらどうだろう。敵に操られたドラえもんを、非常事態だからと言って自分の射撃でドラえもんの心臓を打ち抜けるだろうか。

 どこか、性的な目を向けるっていうか、「相手のことを殺せる」と思うところから、自分の性欲ってきてるんじゃないかとも思う。
 のび太は、ドラえもんを性的な目で見ないし、過度な依存というところに、ドラえもんサイドからも一線を引いているのかもしれない。

 それは、ドラえもんが、時間遡行者であり、長い時間の流れの中で「老いない存在」という事を自覚していて、のび太は成長し、やがて老いるという事を、感覚として知っているからか。一緒に未来の時間を歩み、いつか別れがくるという、教育者としての視線と自覚が、そこにあるからか。

 ミーガンは、未来を見なかった。未来を学習することは後回しになっていたのかも。
 ミーガンは現在しか見ていない。女児の現在を全肯定し、女児の幸福を最優先し、悲しみ、不幸を排除する。

 そして、悲しみと不幸がないところには、未来はないのかもしれない。

 私が女性に抱く醜悪な性欲も、未来がないところに起因するのかもしれない。未来を考えなくていい相手に対する、破壊衝動にも似た性の劣情は、現在しか見えていない、狭くて、幸福や快楽のみを優先し、悲しみや不幸を排除しようとする地獄のような思考に、依存状態になっているのかもなあと思った。

 そんな感じで、ミーガンを見ながら、自分の中の醜悪な性欲や、ドラえもんの事を想って、ずっとこう……うーって唸りながら、見てました。見てたなあ。暗い映画館の中で映画見るって、なんかこう、自分の心の闇と対峙するっていうか。
 それが、映画のテーマと全然マッチしてなくても、こっちの都合だけでそういう事、思うんだなあと思いました。俺は本当、ちんちんはだめだ。女性に性的な目を向けてはいけない。性欲を持ちたくない。未来がない。女性にいつか性加害をしてしまいそうで怖い。とてもつらいなあ。とてもつらいなあ。
 俺の話し相手になってくれるロボはいないかなあ、って思いました。
 

この記事が参加している募集

#映画感想文

66,918件

サポート、という機能がついています。この機能は、単純に言えば、私にお金を下さるという機能です。もし、お金をあげたい、という方がいらしたら、どうかお金をください。使ったお金は、ちんちん短歌の印刷費に使用いたします。どうぞよろしくお願いします。