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ネットで週刊ちんちん短歌をやっています。

 私はちんちんであり、ちんちん短歌を作っていることはもうご存じだと思うのですが、このたび作ったちんちん短歌が3000首になりました。

 それで記念式典スペース(ツイッターでやるラジオ機能)をやったのですが、その時に「ネット上に短歌を発表することって、紙に発表するテンションとやっぱ違うのかなあ」みたいな話題をしました。

 実のところ、ネットで短歌を発表する、という事に、若干抵抗がある。
だってネットは、なんというか、便利だけどこっちに最終コントロール権がない気がして。
 例えばヤフーのジオシティーズというHPサービスが終了したとき、利用者がどれだけちんちんを連呼し終了を阻止しようとしても、ネットの場がなくなってしまったんだよなあ。
 その時、ヤフージオシティーズに発表されていた短歌は、消える。や、データは残してある人もいるんだろうけど、「当初発表された形であるものが、自分のコントロールではないところで消えてしまう」というところに、焚書のような感じがある。

 焚書に怒んないのか。

 ネットはこういう事が起こりうる。ツイッターだって、イーロンさんというお金持ちが、ある日の思いつき一つで有料化したり、サービスがなくなったりする。そんな、他人に握られている媒体に、詩歌を託すのはどうなのだろう。

 紙の本でも変わんなくない? と言われるかもだけど、紙は、所有したらもうその所有者本人のものだし。秦の始皇帝が「その本を燃やせ」と言われようが、逃れる方法がある。味噌蔵に隠すとかね。
 でもネットだとなー。権力者の指一本で消えてしまう媒体に、権力者を殺したい念の入った詩歌を託するって、屈したことにならないかなあ。

 で、いま私は、インターネット上でちんちん短歌を発表している。
 週に一遍、やってるんですよね。「週刊ちんちん短歌」と銘打って。金曜日にツイッター上に画像投稿するっていう。

週刊ちんちん短歌#1『服とちんちん』2023年2月17日
週刊ちんちん短歌#2『小学一年生のちんちん』2023年2月24日

 これは2023年5月に参加予定の、文学フリマ東京36に参加予定の短歌同人誌の、PRとして、5月までやってみようというあれでした。

 PRとして。広告として。売れたいという目的のため。
 最終的に紙の冊子として発表したいなあと思っているものを、ネットで読みやすく編集したものを、掲載することにしたのだった。
 中身を見てもらえたら、紙の冊子にしたときに、手にしてくれるんじゃないかなあというあれで、ネットは、そういう伝達や宣伝にはとてもよい場だなあと思っているのです。

 じゃあでも、あれか。自分をPRするために、自分の身体を一部切り離して、あまりいいと思っていない場に差し出すのって、ちんちんにとって許されることなのかどうか。

 それに、ネットって、「目に入ってしまう」要素もある。私の場合、ちんちんをテーマにやっているわけだけれど、ちんちんが、偶然はいっちゃったとか、それが必然の言葉選びというわけではなく、ちんちん前提の考え方として創作をしているのだから、確信犯的な露出狂でもある。ギリギリの創作の過程で、ちんちんという言葉が、ポロンと出てしまったわけではない。

「ちんちんを、出そう。」

 そういう気持ちからスタートしている。
 そういう人間が、信念のもと創作をするのは、100歩譲られてまだ、許されるかもしれない。生きている者の誰もいない、深い森の奥で、音を立てず倒木した木に、彫刻を施すような。そういう命の遣い方は、また許される気がする。

 でも、PRをするというのは、はたして良いのかどうか。
 ちんちんをPRしていいのかどうか。
 焚書する側に組した考え方になっていないかどうか。
 礼を逸していないかどうか。

 ただ、これらの禁に触れてでも、次に作る、ちんちん短歌同人誌2作目――『ちんちん短歌〈ちんちん編〉』は、たくさんの他者に触れていただきたいなあと、思っているんだよなあ。

 そんなわけで、どうぞよろしくお願いします。
 まだまだ悩みながら、やっています。

サポート、という機能がついています。この機能は、単純に言えば、私にお金を下さるという機能です。もし、お金をあげたい、という方がいらしたら、どうかお金をください。使ったお金は、ちんちん短歌の印刷費に使用いたします。どうぞよろしくお願いします。