見出し画像

ちんちんを勝手にしゃべらせていいと思っているのか

 ちんちんに口がないのに、ちんちんにしゃべらせているようなことをしているのは、いいのか? と思う。ちんちんの気持ちが分からないのに、ちんちんに僕がしゃべったふりをさせているときがある。
 そんなことをして、本当にいいと思っているのだろうか。

 ちんちんだけではない。わからないものは。
 わたしは他人の気持ちというものがほとんどわからない。他人の欲している事、他人が何をしたら幸せになるのか、怒りポイントはどこなのか。本当にわからない。
 だから恋人にリスカされ、恋人と別れたんだよなあ。

 じゃあ、わかるものは何か。たとえば自分の気持ちはわかるのかといえば、これもまたわからなかったりする。自分自身でも何がしたいのかわからないなんてざらだ。
 わかるもの……あれだ、ガンダムだ。ガンダムの事ならわかる。

 ガンダムはフリーダムファイターなのである。フリーダムファイター・ガンボーイ、略してガンダムだ。ガンダムなら、わかりますよ。アムロに振り向いてほしくないのだ。宇宙のかなたに輝く星は。
 キャラクターならわかる。キャラクターの事なら何でもわかるのだ。なんてったって、公式の資料があるしな。公式で描かれているエピソードもあるしな。それらを一字一句暗記しているから、私はキャラクターの事についてなら全部わかっている。ガンダムは、男は涙を見せぬものだから、ただ明日へと、永遠に、なのだ。なのだ!

画像1

 なぜ、キャラクターならわかって、人間や自分のちんちんの気持ちが分からないのだろう。気持ちが分からないのに、ちんちんの声を捏造し、勝手にしゃべらせて、いいのだろうか。

 先ほど私は、ガンダムの事ならわかると言ったが、実際ガンダムの気持ちはわからないのだ。ガンダムの気持ちなどは、公式の資料集に一切記述されてない。公式の二次資料になっている小説版ガンダムにも、富野監督のトミノメモにも残されていない。ガンダムに気持ちがあるのかないのか、それは全く分からないのだ。

 ロボだからだろうか。

 ちんちんはロボではないし、体の一部である。体の一部にも気持ちは宿るのかどうか。やロボだからって、気持ちは宿らないのか。宿らないってんなら、サイコフレームが最後ばーんと飛んでアクシズに緑の光(アクシズショック)が出たのはあれは、なんなんだよ……なんなんだよバーニィ!

 ちんちんは勝手にしゃべらせていいのかなあ。気持ちが分からないのに、すべて分かった気になって勝手にキャラクター化して。

 キャラならわかられて、それが人間味を出すと、わかられなくなる。生活感とか、実際に生きているという実感を出した瞬間、人々の理解から遠くなる。アイドルなんかが顕著だと思う。いかに、自分をキャラになるか。みんなに分かられるか。

 それが、売れるという事なのか。
 わたしが「ちんちん短歌」でやっていることも、結局はちんちんのキャラクター化なんだろうか。

 それはひどく、罪深い気がする。ちんちんを勝手にキャラ化して言葉を作っている俺は、この世に存在していいのかなあ。


 
 

この記事が参加している募集

文学フリマ

サポート、という機能がついています。この機能は、単純に言えば、私にお金を下さるという機能です。もし、お金をあげたい、という方がいらしたら、どうかお金をください。使ったお金は、ちんちん短歌の印刷費に使用いたします。どうぞよろしくお願いします。