見出し画像

小説 ちんちん短歌 第16話『京観』

 京観(けいかん)とは、死体でタワーを作る事である。
 だいたい、漢土(中国)の覇権政府が平定した蛮地などで、反乱者一族を素材に作られる事が多く、有名なのは曹魏の司馬懿という軍人が、燕(遼東半島)を治めていた公孫一族に対して行ったものが、すっごい立派なタワーだったらしい。

 だから、建の――公孫建の先祖は、乱を起こし、戦争に負けて根絶やしにされたあげく、その一族の死体で死体タワーを作られた。

 根絶やしにされたんだから、だから、血筋は絶えてるはずで、公孫一族の血は、漢土の広くて寒い遼東の地で、タワーになって、朽ちたはずで。だから、建が、だから、いままで、だから、生きているというのがおかしい。生きていたのが、不自然だ。公孫の一族が生きている、という事は、そもっそも、フィクションなのだ。
 生きていた事なんて、フィクションなのである。

 で、建。
 死体タワーの天辺で、仰向けに倒れていた。疱瘡で死んだからだ。

 疱瘡で出来た京観は、ヤマトでたびたび作られた。漢土で行われたそれと違って、意図的にタワーにしようと思ったわけではない。疱瘡の病は伝染する。だから、だから。だからと言って、家の中で死体を放置するわけにはいかない。
 死者は、村の、入口あたりに集められ、積まれた。
 わざわざ一人一人穴を掘る力は、村人には残されていなかった。仕方なく、ただ一か所に集める。そして放置する。それはだんだん、折り重なって山になってタワーになる。

 建も山間の村を出ようとしたところで、熱と飢えで倒れた。疱瘡特有のつぶつぶが、喉から胸から出ていたので、村人は誰も寄り付かない。
 しばらく放置されたが、その時にはもう、村中の男たちが感染していて、力ある者、元気なものが誰もいなかった。
 ややあって、このへんを担当していた郡司が数人の黥人(額に刺青のある罪人)を伴ってやってきた。黥人たちは仕方ない手つきで、その辺にぶっ倒れている疱瘡死者を集め、適当に積み上げる。
 京観の高さは、9尺6寸(2メートル16センチ)になった。
 その間に郡司は、死んだ村に残された家屋から金になりそうなものを一通り漁ると、何人か子供や女子が生きのこっていたのでこれを捕らえ、犯し、殺し、疱瘡だったことにして京観に積み上げ、また違う村へ出立していく。

 建は死に、タワーの上で、星を見ていた。仰向けで、足は、wの字のまま、開きっぱなしだった。ちんちんも星へ向いていた。ちんちんとカシオペア座の両方を見る事の出来る体勢だった。ちんちんの先にテントウムシが止まり、そのまま星へ飛び立っていく。星はきれいだった。星だけがきれいだった。死んでいるので体が動かせず、閉じられなかった目はただ、一点を見つめていたため、だから、星が動いているのがわかる。ゆっくりと、北極星を中心に、星が動く。

「なむやまに たなびくくもの あをくもの(向南山陳雲之青雲之)」

 死んで、死んだからやっと集中できて、建は心の中にあった星を詠った短歌をひとつ、思い出せた。

「ほしさかりゆき つきをはなれて(星離去月矣離而)」

 南向山にたなびく雲の青雲の 星離れ行き 月を離れて。

 南を向いた方にある山から、青い雲がたなびき、その雲はただ流れて、北の方へ。星を離れて。月を離れて。どこまでも離れて。北斗神(死星)のところへ行ったのだろうか。ここではないどこかへ、雲がただ行く。
 そんな風に、この歌を作ったものは、その感じをただ詠んだんだろう。何気ない雲の動き方。誰もが一度は、ぼんやりと見たことがある光景。雲が、星を離れていくところ。月を離れていくところ。

 離れて、と。

 「て」で終わるこの歌。
 建はこの歌を詠い舞うと、いつもしばらく動けなくなっていたのを思い出す。振り付けだから意図的にそうしていたのだけど、でもいつもどこかで、振り付けという意識を外れ、「て」で、止まり続けていた。いや、止まるというか、何もしなくなる、というか……いや、違うな。

 あの時、俺は、何かを待っていたんだ。

 つきをはなれて、と詠ったのちの空白。そこに、何かが来るのを待っていた。オーディエンスである大伴家持の反応なのか。いや、もっと大きいものを、大きいという言葉では測れないものを、待っていた。
 何をだろう。この歌を詠いながら、俺は、何を。何を……。

 星が動いている。だが、ちょっと違う。……不自然な動き。星が、円運動ではなく、直線に……いや、これは、自分が移動しているのか?
 音もする。
 チョッキン、パチン、ストン……。何の音だ。
 
 がばっと起き上がる。
 建は、起き上がった。起き上がることができた。
 京観の上。
 京観が、京観ごと、動いている……?
 下を見る。見れば、死体タワーの下が荷車になっており、そこには御者と、荷車を引く巨大な四足動物……あれは、山羊という、ヤマトにはまだない動物。建は前に一度見た。なかったことにされた物語の中で、見たんだ山羊を、建。

「えっ」
 御者が、建が目を覚ましたのを察して振り向く。
 あれは、いつぞやの胡人だ。なかったことにされた世界で、出会った盲の男だ。今度は全身を黒く、襟が付いた服を着ている。背中には燕の尾のように割れた……燕尾服っていうものを、建は知らないか。
 胡人はすごく驚いた顔を見せた。
「どういう差配なんですか……。あなた、あれですよね、東の果ての島国の……短歌の。公孫……建……でしたっけ」
 盲の胡人は手綱を引くと、巨大山羊は首をいからせ、立ち止まる。
「……、……。」
 建は声を出そうとするが、喉から空気が出ていかない。疱瘡の後遺症なのか。あるいは、肺が機能していないのか。出せない、声。たしかに、建、今、ここ(胸)に何かがある、という感じがしない。実感がない。

 その様子を察して、胡人はため息をつく。
「生きているのか、死んでいるのかわからない――。そういう事ですか。確率論的な未決定とはねえ……随分とまあ、訳の分からない差配だ」
 胡人はやれやれと手で示し、またミロク像みたいに手を顎に当てる。
 建は何かを想おうとするが、
「あー、はい。疑問を口にしなくてもいいです。その代わり、暴れたり、面倒くさい事はしないでほんと……今、私は、シを運搬しているのです。私の通常業務なんです。シ。運搬するの」
 し?
「シです。あなたの下にあるものです」

 死体たちだ。
 みな、息もせず、肉のかたまりとなってただ、そこに、ただ居る。だが、その服は、見たことのない色彩の艶やかなものもある。素材も、見たことがない。
「後にアスタータ50における惑星開発委員に命を授ける事になるシ達ですが、今はただの腐りつつある肉と骨のかたまりです。三身の一片である魂は、ここにはどこにもありません。何なら引き裂いてみますか? 宇宙は見えるところまでしかありませんが、だったら魂とておなじことです」

 あー。
 建は、脳も死んでいるのか、リアクションも薄い。何言ってんのか分かんないし。

「たとえば、建さん、あなたの尻のすぐ下のシ。これは、あんたのクニの、あんたから見たら未来未来の、えーと、メイジ36年産のシです」
 尻の下にあった死体に意識を向けると、建と同い年くらいの肉体があった。黒の厚手の服を着ている。
「ガクランね」
 建が手をふれると、その手を通じて言葉が体に入ってきた。

「眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。」

 ……何言ってるんだこれ。
「そのシの元は、藤村操さんという方です。詳しくはウィキペディアをご参照ください」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%9D%91%E6%93%8D

 と、巨大山羊が突然足を踏み鳴らす。
「(いつまで我を待たせるつもりだ)」
 山羊、よく見たらすごい怖い。胡人、めんどくせえみたいな顔で、杖でその背をぐりぐりやる。
「立場をわきまえなさい、がらがらどん。あなたの大切な小がらがらどんは、私の差配下にあることをお忘れか」
「(クッ……コロ……)」
 ぐぬぬ感出す、がらがらどんという名前の山羊。弱みを握られているんだろうなあ。
「で、建さん。……肉と骨だけになっているのに、肉の者にも宝石にもならず、あんた、形を保っているだけでも奇跡のバランスなんです。つまり、今、その中心にあるのは、万の葉を繋ぎとめる、それは茎(ステム)なんですか?」
 マンのヨウ?
「……言葉の者なのに、述べて作らずって感じですか……あーん、七〇で死ぬまでずっと就職活動し続けた巫女の私生児のつもりですかぁ? ……ほんと、もうね、頼むから大人しく、運搬されやがってくださいね。もうあんた、シなんだから」

 シ? 詩、になってしまったのか、建?

 いや、そんな大層なもんじゃない、と思う。ただの短歌奴隷だ。誰かが作った短歌を、詩を、自分の中に入れて出すだけの、記録と運搬のための装置。すべての短歌を、大伴家持に集めるための道具……と建、思いつつ、やっと周囲に目をやる。

 荒地が広がっている。茶色い。そして、夜だというのに、風が苦しい。
 ここは、どこだ?
「ここは、寒さと恐れのない地、ア(非)・フリク(恐怖)……アフリカという場所です」

 アフリカ……。

「ここにシを欲している人々がいて――ああ、もうすぐ着きますよ。さあて、がらがらどん。速く走りなさい。さもなくば、小がらがらどんを殺します」
「(……いつかお前のその空虚な目を潰してやる……田楽刺しでな!)」
「おお、怖……」
 胡人が軽口をたたくと、巨大山羊がらがらどんは荷車を恐るべき力で引く。京観はざっと、二〇〇〇貫(約7.5トン)あるが、それを引きながら、馬よりも早く駆け出す。途中から荷駄車は空中を走り、夜をかけてアフリカの地を駆け巡る。

 キリンや、ゾウや、しまじろうやアフリカグマ達が立ち上がり、がらがらどんの引くシの荷馬車を見つめる。

 ああ、星を離れていく。月を離れていく。

 無数のシたちと一緒に、建は今、アフリカにいる。短歌探してこいって言われて、今、アフリカに。
 象のうんこが、そのへんに無数にある。
 その上を、建を乗せた山羊車は飛んでいった。

向南山 陳雲之 青雲之 星離去 月矣離而
北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて
(持統天皇)

万葉集 巻2-161
※本文中の引用では初句を「なむやまに」としている。これは一般的な読み方ではない。
ただし、一般的な読み方である「きたやまに」も、確たる根拠はないとされている。


サポート、という機能がついています。この機能は、単純に言えば、私にお金を下さるという機能です。もし、お金をあげたい、という方がいらしたら、どうかお金をください。使ったお金は、ちんちん短歌の印刷費に使用いたします。どうぞよろしくお願いします。