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ソロ文学フリマ参加者ラーはさびしさをどうしているのか

 私は来月11月に行われる文学フリマ東京37に参加する予定なのです。

 これは、自分が文学だなあと思っているものを自作して頒布する同人イベントなのだけれど、これに私は【ちんちん短歌出版世界】という団体の、世界長という肩書で、2020年くらいからずっと参加しているんです。
 団体と言っても私一人がやっているので、私一人です。一人です。私はこの世にたった一人なのです。クローン。で、今回も出店し『ちんちん短歌』という歌集(短歌)の同人誌を【T-30】という場所で頒布予定なのですが。

 この文学フリマという催しに、ソロで出店参加されている人も多いと思うのです。
 ソロで参加すると、さまざまな問題が発生する。

 ひとつ、トイレに行けない。
 ずっと長机にいる事になるので、12時から17時。五時間、座り続ける人になります。だから、もし大小の便をしたいとしたら、その場でするか、我慢するしかない。
 だから文学フリマ前は、我慢のトレーニングをして、我慢を覚え、我慢ができるよう、一生懸命精神を鍛えているのだけれど。

 そして、そもそも食事ができない。
 お蕎麦屋さんがたしか駅前にあるが、あとはもう、お弁当を持ち込むしかないんじゃないか。だが、お弁当を使っている人が頒布している文学を、手に取りたいと思うかどうか。
「なんだ、それなら、こっそり食べればいいじゃん」
 と、のび太はそういうかもしれないが、私は根が真面目なのでこっそり食べるという事は精神的なストレスがかかってできないのである。
 一度、スニッカーズを袖の中に仕込んでみたらどうかと考えたが、スニッカーズ、私、栄養のバランスを極端に気にしてしまう人なので、こう……野菜とか、そういうのが、ちゃんとしてないご飯はちょっと、嫌悪感があって、スニッカーズ業者の人には本当に申し訳ないけれど、スニッカーズはちょっと。
「だったら、人参を袖に仕込めばいいじゃん。細い人参を袖に仕込めばいいじゃん」
 と、のび太はそういうかもしれないが、細い人参って事は、つまり、京野菜だろ? 京野菜を袖に仕込んで食べちゃだめだ。

 で、あと、一人だと、「ああ、一人だなあ」と思う
 本を誰にも手に取ってくれない時間帯は誰にでもあります。その時、「ああ、一人だなあ」と思うのです。クローン。とはいえ、これはデメリットかというとそうでもない。誰だって人間は一人で生まれてきた。孤独なのだ。私はこの世に一人しかいないのだ。クローン。だから気にすることはない。生きてさえいればそれでいいじゃないか。クローン。

 あとね、ソロ参加だと、他の人のブースに行って本を買えないのがねえ。ぶらぶら歩いて、できれば全部の島を廻りたいではないですか。売り子の人と、本について、お話したいじゃないですか。これが、ソロ参加だとできないのが難しい。

 さびしさはみんなどうしているんだろう。

 ソロ文学フリマソロ出展参加者ラーとして、撤収後の時間がぼんやりしてしまう。
 けっこう充実感があるのだ。未知の人に自分の作った作品を手渡しできた喜びを、誰かに話したい。
 話したいなあ、という気持ちのまま、でも、用事は特にない。机をたたみ、片づけをしたら、もうやることはないのだ。

 でも見れば、毎回、暇な人っぽい人はあちこちに突っ立っている気がする。彼らは同じソロ参加者ラーではないのか。
 話しかけたい。ものすごく話しかけたい。
 でも、話しかけたら迷惑になるかもしけないし、詐欺師と思われるかもしれない。実際、自分がもし話しかけられたら、まず真っ先に「こいつ、詐欺師ではないか。俺の体と同人誌で得た現金目当ての不埒な詐欺師なのでは?」とめっちゃ疑うし、そもそもこういう時に話しかけてくるような陽気な人間なんて大嫌いなのだ。話しかけられたら、俺は絶対に距離を取る。そして絶対に悪口をツイッターに書く。俺はこういう人間なのだ。俺はこういう人間。

 だから、できない。人間関係不得意だから。コミュニケーションも、そもそも、できない。人と話すのが嫌いなのだ。だから、そもそも、ソロ参加をしたくてやってるんだ。絶対に話しかけられたくない。話しかけられても、そっけない態度を取る。カリスマかつミステリアスに見られたいから、絶対しゃべらないと思うんだ、俺。

 だけどなあ、寂しいんだよなあ。話しかけられたいんだよ。話しかけられたうえで、「俺、話すの苦手なんで」って言って、断って、断った後、申し訳なさと恥ずかしさと苦しみで悶えたいのだ。

写真は現代によみがえった恐竜です

 「ソロ出店参加者話しかけられ待ちの会」みたいなものを、誰かがやらされたらどうかと思った。
 文学フリマが終わり、みんなが机の片づけをしている中、「なんか話しかけられたいなあ」と思っている人たちで集まって、「話しかけられ待ち」をする会」を開くというのはどうだろう。
 どこか、邪魔にならないところ――駅前とかは邪魔になるので、すぐ近くの、なんか、広いところとか、自販機前とか、公園みたいなところで、ただ、話しかけられるのを待つ。
 ただ、話かけられるのは好きだけど、人間関係は不得意だし、コミュニケーション能力もないので、話しかけられたら迷惑、という人もいるだろう。
 その場合は、その会に参加せず、「ただ、その近くにいる」というのはどうか。
 わたしは、それならしたい。「話しかけられ待ちの会」の「ただ、近くに居る」はやりたいのだ。

 それに、私はそういう会を主宰できない事情がある。
 私は「ちんちん短歌出版世界」という、ちんちん、つまり、男性器をテーマに文学創作物を作っている人間であり、しかもそのもともとの創作動機は、性的な作品を作って女性に読ませて、女性にエロい気持ちにさせようとし、読んでくれた女性とセックスしたいと思って作った、という事実がある。

 その動機で活動することが、不特定多数に向けた性的なハラスメントであると自覚してからは、最近は本当にセックスしようとしていいません。だけど、そういう理由で活動を開始してしまったという前科は、一生ぬぐえない。
 だから、こうした出会いを促すような活動の呼びかけの中心人物には絶対になってはいけないのですよ、私。

 あと、今回、普通に売り子の人を頼んだので、別に孤独じゃないしなあ。

 本当、話をしたい。話しかけたい。誰か他者に。
 そんな、「ソロ出店参加者話しかけられ待ちの会」を誰かがやってくれないだろうか。「私は一人で文学フリマに出店参加しました。帰りに誰かに話しかけられたいです」と書かれたボードを、帰り道のどこかに掲げるだけでいいのだ。
 そしたらきっと、近くに居ます。
 話しかける事はできないけど、近くに居ます。

 誰かの近くにいる事が、社会的にも精神的にもできないからなあ。努力ができないからなあ。頑張ることが、今、できないんだよなあ。

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