【PR】VR、AR、XR、その先にあるものは?


【PR】とは、パーソナルリアリティーのことである

とあるライトノベルにおいて、超能力発動のために必要とされる能力として同名が使われているが、ここでは別の意味として使う。
つまりは、個人的な現実という意味である。
今現在でも、ネット廃人はその人生を、ほぼ仮装的な世界で生きていると行っても過言ではない。あるいはゲームや、別にマンガや小説の世界でも同じことである。
PRの世界においては、現実世界をベースとしつつも、その認識を、意図的に、都合よく、自分のために歪ませ、再構築することができる。
あえて露悪的な言い方をするならば、薬物中毒者やパラノイアの生きている世界と同じである。
その世界に至るまでの路程を考察する。

2024/10/05 .jp
市政に下りているデバイスは、未だARグラスとVRゴーグルであり、ギリギリ、外で使える程度の性能である。なので、今後の進化を勝手に考察する。

ハードウェア的な進化

【正統進化】薄く、軽く

グラス型を謳うならば、市場に出回るメガネ程度の重さと薄さになるのが望ましい。
VRの場合、密閉性が重要となるため、グラスよりもゴーグル、水泳ゴーグル程度の重さと大きさになることが好ましい。
長時間の装着が前提になることや、身体を動かすことが多いからである。
その究極系は、コンタクトレンズ型であろう。眼球に密着すれば、遮光も運動も問題ない。しかしながら、取り外しやメンテナンス、安全面に課題がありそうだ。充電については、無線送電、フィルム型ソーラーパネル、整体電気利用、バクテリア発電など、いくらでも解決できるので、問題にはならない。しかし、人体というハード・ソフトの適応が追いつかないのである。

【ヘルメット型】大きく覆う

ソードアートオンラインシリーズに出てくるナーヴギアである。これがなかなかに、古い人体には合理的なのである。
まずバッテリーなどの機械部分の余裕がある。小型化という制約が緩和されれば、その分他の改善にリソースを避ける。
次にヘルメット型であれば、視覚と聴覚を完全にハック出来る。ついでに嗅覚も使える。
最後に安全性と取り回しのしやすさがある。着脱が容易であり、重心バランスが良い。そして何より、ヘルメットであるから、頭部を保護できる。

ソフトウェア的な進化

VRについては、ここでは扱わない。なぜなら、そんなものとっくにいくらでも、デジタルコンテンツとして作り出せるし、既に作られているからである。考察に値しない。勝手にアニメやゲームの世界に入っていれば済むのである。

それに対してARやXRは、現実世界とリンクする技術であるから、まだまだ楽しめる余地が大きい。
大前提として、デバイスの小型化・軽量化が必要である。パソコンがスマホになったことで、カメラや通信、クラウドへのアクセス機能が爆発的に進歩したように。
今後はグラス型デバイスを総称して、スマートグラスと呼ぶことにする。

情報重ね合わせ(アウトプット)とアーカイブ(インプット)

外国の町を歩くと仮定する。
スマートグラスには、カーナビのように、常に地図と、目的地までの経路が表示される。
目的のレストランを見つける。注視すると、営業時間・公式サイトと口コミが、瞬時に表示される。
店に入ってメニューを見る。文字がスキャンされ、日本語に翻訳される。値段も、今現在のレートで円に換算される。
知らない料理は検索できる。材料、味付け、由来など。
店主が注文を取りにくる。顔をスキャン、SNSをやっているらしい。日本語もそこそこ出来るらしい。
料理が運ばれてくる。写真を取る必要はない。デバイスを装着してからずっと、ここまで、視界は自動で録画されている。しかし、後から見返しやすいように、録画に編集点のように、ブックマークを付けておく。グラスがスリーブ状態の時、人間の睡眠と同じように、その日一日見たものを、アーカイブとして自動編集してくれるのだ。
店を出る。暫く何もない田舎道を歩く。すぐ飽きる。常に空に映画を映し出す。ついでに通り過ぎる人間の顔を変える。自分がドラマの主人公になった設定で世界を生き、その光景をそのまま記録できる。

価値観の変化

プライバシーはなくなる〜パンティーからパスワードまで〜

一度見たものは録画される。全員が完全記憶能力を持っているのだ。
なので、偶然見えたパンチラや、バスコードやクレカ情報を打ち込むスマホ画面も、永遠に確実に記録される。
仕事における生産性と、情報漏洩が加速する。
街中で有名人は、顔を隠してもすぐに見分けられる。
どうすれば良いのか?
一つは抵抗である。そもそもスマホ代わりにスマートグラスを使っていれば、覗き見られる心配はない。
あるいは見られて困る場合、機械だけに読み取れない画像、誤認させる画像で防衛する(アドバーサリアル・エグザンプル)


もう一つは許容である。個々人がパーソナルリアリティを生きる場合、現実がどうであるかはそこまで重要ではない。情報の重ね合わせにより、街行く人間全てをセクシー女優に変えたり、ディープフェイクでヌーディストに変えることも可能である。ならばもはや生身の人間は動くマネキン人形に過ぎない。
脱線だが、パーソナルリアリティを生きるには、なるべく現実のノイズを減らした方が良い、ならば、ヘルメット型デバイスの方が良さそうだが、やりすぎると現実感がなくなり、その一方で生身は現実にあるため、危険であり不便である。その境界レベルは個々人に委ねられるだろう。

認知格差が拡大する〜疲労と翻弄〜

現実世界に常に情報の次元を重ね合わせられる。未知は瞬時に既知になる。空に浮かぶ雲の名前や、道に咲く花の学名、聴こえるBGMの作者まで、全てが分かる。そして疲れる。
さらに、任意で重ね合わせた情報と、現実世界との区別がつかなくなり、混乱する。
ごく一部の人間は、現実をハックし、次々と認知世界を広げて、全能となる。
その一方で、ほぼ全ての人間は、現実にハックされ、次々と世界に襲われ、無能となる。

世界のゲーム化

限定された情報と、自分だけの都合の良い解釈。世界を、シミュレーションゲームのように生きることになる。
そして、デバイスを外して気づく。別に今でも、認知によって成り立っているという点で、この世界はシミュレーションゲームのようなものである。と。

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