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真の対話

“尖閣諸島は日本の領土じゃありません。尖閣諸島は中国の領土です”

もしも誰かが、このように言ったら、皆さんはどのように反応しますか?

僕は ‘尖閣諸島’がどの国の領土なのかを言いたいのではありません。自分と違う見解を持っている人と出会った時に、その人と ‘どう接するべきか’について言いたいのです。

その人が、どこで生まれ、どのような環境で、どのような経験をしてきたかが、その人の考えや価値観を形成します。そのため、人によって違う考え・価値観を持つのは自然な現象です。

現在、僕たちは多様な文化を背景に持っている人たちが共存する ‘多文化社会’を生きています。

‘多文化社会’の特徴は、1つの社会の中に多様な考え・価値観が存在しているということです。そのため自分の頭では理解できない人もたくさんいるはずです。

皆さんは自分と違う見解を持っている人と出会った時、どのように反応していますか?

自分の考えを基準に、その人を判断してはいませんか? 自分の考えと違うという理由から、その人は ‘間違っている’と決めつけてはいませんか? もしかすると、その人の考えを正そうと思ってはいませんか?

自身の ‘考え’が客観的に正しいか、正しくないかは、さておき、このような接近方法では、結局のところ、葛藤を引き起こし、自分と相手の間に ‘壁’をつくり、対話をできないようにします。

対話なしに、理解はありません。
対話なしに、発展はありません。
対話なしに、共存はありません。
対話の断絶は、結局のところ、お互いに悪い結果をもたらします。

自身と違う考え・価値観・見解を持つ人は、この先もどんどん増えていくでしょう。僕たちはこのような時代をどのような心を持って生きるべきでしょうか?

僕は ‘違い’を受け入れる ‘開かれた心’と、相手のありのままの姿を尊重する ‘広い心’だと思います。

“人は小説と同じです”

もしも、小説を最初から読まず、途中から読んだとしたら、理解できない部分が生じるはずです。それでは、その部分を理解するためには、どうすべきでしょうか? 最初から読めば、それまで理解できなかった部分が1つに繋がり理解できるようになるはずです。

人も同じです。

僕たちは、多くの人に出会います。しかし、彼らのことを初めから知っていたのではなく、人生という道の途中で出会います。そのため、初めのうちは彼らを理解することができないかもしれません。しかし、彼らがどのような人生を送ってきたかを知れば、100%ではなくても、ある程度は理解できるようになるはずです。

相手を理解しようとする気持ちが生まれたら、その時から ‘真の対話’が始まります。 ‘理解心のない対話’は、それが正しいか、正しくないかを争う ‘破壊的なおかつ攻撃的な対話’に繋がります。反面 ‘理解心のある対話’は、自分と相手の間に存在した壁を打ち崩し、お互いが不足していた点を補い、より良い方向に進ませる ‘建設的な対話’に繋がります。

僕たちは、この先も多くの ‘違い’に出会うことになります。もちろん、理解することが難しいことも多々あると思います。しかし、自分と違うという理由で相手を判断する代わりに、その ‘違い’を生んだ過程に目を向け、その原因は何なのかを、真剣に考え、分析してみましょう。そうすれば、僕たちが共に進むべき新しい道が見えてくるはずです。

最後まで読んでくださり有難うございます。

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