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[日本縦断] 目足耳口手

“暗く困難な時こそ、光を感じるのに最適な時である”

僕は ‘岩手県’を通り過ぎていた。福岡から始めた自転車の旅はラストスパート。あと数日で目的地に到着するという希望と、疲れた身体が葛藤したのをよく覚えている。

その日は、雨が降ったり止んだりを繰り返す、そんな日だった。涼しいのは良かったが、太陽が見えず暗かったため、僕もその影響を受けたようだ。身体も心も無気力状態だった。その日の目的地まで行ける気がしなかった。この辺で宿を探そうと何度思ったことか。しかし    ‘1人の方’のお陰で、僕は最後まで走り抜くことができた。

トンネルを抜けると、おばちゃんが僕のことを待っていた。おばちゃんは、トンネルを通り過ぎながら、僕の自転車のライトが消えているのを見て、このままだったら危ないと思い、車の中にあったライトを渡すために待っていたのだ。

見たとしても、そのまま通り過ぎることも出来たはずだ。しかし、おばちゃんはそうしなかった。自分に出来ることをするために僕のことを待っていてくれた。僕は、おばちゃんの ‘優しさ’のお陰で、もう少しだけ頑張ろうと思えた。

10分経ったかな? 遠くから、僕に向かい手を振っている人が見えた。おばちゃんだった。おばちゃんはコンビニで食べるものを買い、それを渡すために待っていたのだ。感謝を超え感動だった。特にその日が暗く困難であった分、おばちゃんの ‘優しさ’が、より一層輝いて見えた。

人は何かをする時、これをするのは自分にとって利益になるのかを計算する場合が多い。しかし、おばちゃんとの出会いを通して、僕の目の前で助けることのできる ‘何か’がある時、それが自分にとって直接的な利益にならないとしても、助けの手を差し伸べることがどれほど価値あることかに気付くことができた。

目が存在するのは、助けることの出来る人を探すため。
足が存在するのは、その人に近づくため。
耳が存在するのは、その人の話を聞くため。
口が存在するのは、その人を褒めるため。
手が存在するのは、その人を助けるため。

現在、コロナ19のために全世界が暗く困難な時を送っています。このような時こそ、みなさん1人1人の ‘優しさ’が、暗闇の中にいる誰かを照らす光なのかもしれません。気持ちは保管するために存在してません。実践するために存在しています。だからこそ、目の前に助けることの出来る ‘何か’があったら ‘目足耳口手’を使い積極的に助けの手を差し伸べましょう!

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