論争の訳
‘ピサの斜塔’を知っていますか?
イタリアにある世界的な建築物です。直接見たことはなくても、間接的に見たことのある人はたくさんいると思います。
それでは ‘ピサの斜塔’が右側に傾いているのか、それとも左側に傾いているのか、どっちか分かりますか?
正解は “自分がどこに立つかによって違って見える”です。自分がこっち側から見たら左側に傾いているように見え、あっち側から見たら右側に傾いているように見えます。このように同じモノを見るとしても、自分がどこに立つかにより、まったく違って見えることもあります。
僕たちは、楽しく対話をしながらも、突然 ‘言い争い’になることがあります。なぜでしょうか? 理由は色々とあると思いますが、僕は、相手の立場を考えながら話すよりも、自己中心的に物事を考え話すからだと思います。
対話の目的は、自分の正しさを証明することにあるのではなく、自分を知ってもらい、また相手を知っていくことにあります。しかし実際に対話をしてみると、多くの場合、相手を知っていくことよりも、自分を知ってもらうことのほうが先走ってしまいます。
“自分の声が大きくなるほど、他の人の声は聞こえなくなるものです”
自分の考えを主張することは非常に大切なことです。しかし、自分の主張を根拠に、相手を攻撃してはいけはいませんか? 自分の考えを相手に押し付けてはいませんか?
自己中心的な対話は、結局のところ ‘言い争い’に結びつきます。逆に、相手中心的な対話は、お互いのことを ‘理解’できるよう手助けしてくれます。それでは ‘自己中心’から抜け出し ‘相手中心’に物事を考えるためには何が必要でしょうか?
僕は ‘配慮’と ‘謙遜’の心だと思います。
‘配慮’は、相手の立場に立って物事を考えるようにし ‘謙遜’は、自分の考えが間違っているかもしれないということに気付かせてくれます。僕たちが、配慮と謙遜の心を持つならば、相手の言葉に耳を傾けるようになります。自分のことを知ってもらうよりも、相手のことを知ろうとします。何よりも、相手の考えを正そうとせず、自分の考えを正そうとします。
人間は本能的に自己中心的な存在です。そのため、一朝一夕にはできませんが、僕たちが意識的に相手の立場に立ち、物事を考えようと努力するなら、僕たちの人生に大きな変化が起きるはずです!
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