自分の存在意義がわからなくなった話

年始早々とんでもないテーマで書き始めて申し訳ない。

だが、これを吐き出さなきゃすっきりと今年のスタートが切れない気がして、今のうちに書いておこうと思う。

年末のことだが、久々に大学時代のサークル仲間と集まりがあった。

気のおけない友人とお酒を飲み、談笑する楽しい時間。
そう思いたかったのだが、結果として何だかモヤモヤが残ってしまった。

というのも私はこの日、ほとんど会話の輪に入れなかったのである。

大学卒業から何年も経っているので、それぞれ違う世界に進み、どんな生活を今送っているのか。
そんな話題に花が咲く。

場合によっては結婚したりお子さんがいたり、県外や海外で活躍していたり。

私も例外ではない。
仕事を転職したりキャリアアップしたり、引っ越したりと新しいエピソードは持っている。

だが、何となくテンポがずれるというか。
皆の世界から1枚隔離されているような気持ちになってしまったのだ。

それぞれの近況報告に対して、「へぇ凄い!」「それでそれで?」と質問が絶えない。

学友たちがどんな仕事や生活をしていても、興味深い。
私もぜひ詳しく聞きたいので、気になることは周りと一緒に相槌を打つ。

だけど私のターンになると、平々凡々過ぎるのか真顔で「ふーん楽しそうね、そっか」と一言返され、終了だった。

この時、興味をもって質問攻めにされたかったわけではない。
あまりにも周囲のテンションと自分が合わないことを痛感してしまったのだ。

サークル仲間たちは、とにかくアクティブな人が多かった。
旅行にドライブ、ツーリング。
趣味が多くて、成績も優秀。
サークルだってバイトだって掛け持ちして毎日充実してるように見えて。

恐らく同じサークルに入ってなければ、眩しすぎて接することもなかった、きっと憧れていたであろう人たち。

掘り下げる程に自覚する、劣等感。

それを「他人は他人、自分には自分の生き方がある」と心から思えたのはごく最近だった。

今だからこそフラットな目で物事を見れて、サークル仲間とこうして連絡を取り合い、
何の気なしに集まれるのもありがたいことだと思えるようになった。

それなのに、また学生時代のあの気持をぶり返していじけるなんて。
私は何て浅ましい人間なんだろう、と落ち込んだ。

学生時代の友人と会うと、価値観がズレていて昔のように話せなくなった…というケースはよく聞く。

私の場合、それを学生時代から引きずり、それでいてなお今も持ち続けている。

しかも小学校から大学まで含め、旧友との繋がりは現状このサークルしか残っていないので「ここのパイプだけは持っておかねば」という気持ちも捨てきれない。

私が取るべき対策は、
サークル仲間との接し方を「こういうものだ」と割り切って交流すること。
もしくは合わないと感じたら大人数の集まりに出る機会を減らして、本当に気の合う人と個別に会うこと。

皆どうやって、友人関係をうまくキープしているんだろう。
今年は成長して、もう少し人間関係築けるようにしたい。

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