不器用な生きざまが居た堪れない | 映画『泣く子はいねぇが』
時々、「これだから邦画が好きなんだ!」と叫びたくなる作品に出会うことがあります。
映画『泣く子はいねぇが』もそのひとつ。これぞ、邦画の真骨頂。そして、俳優・仲野太賀の真骨頂。
過ちを犯し、妻子を置いて現実から逃げてしまった主人公・たすく(仲野太賀)が、地元秋田に戻り、過去の自分と向き合いながら少しずつ大人へと、そして父親へと成長する物語です。
秋田県・男鹿半島の伝統文化「ナマハゲ」を通じて、たすくの人生の転換が描かれていきます。
あまりにも不器用な主人公・たすく
この映画でとにかく苦しいのは、主人公・たすくのあまりにも不器用な生きざま。もう「生きるのが下手くそ」と言っても過言ではありません。
辛い経験からはすぐ逃げてしまう。はっきりと主張をすることが出来ない。お金もない。仕事もない。
頑張ろうと本気で踏ん張ったときにはもう遅くて。地元の知り合いからも家族からもとっくに信頼を失っていて。
父親になろうと思ったときももう遅くて。妻はとっくに自分を見切って歩き出していて。そして娘には自分ではない父親がいて。
大人になろうともがく たすくに、世界はあまりにも厳しい。
でも、みんながみんな、年齢とともに大人になれるのでしょうか。子から親になれるのでしょうか。
たすくのように、一生懸命なはずなのに上手に生きられなくて、居場所をなくしそうになっている「大人になれていない若者」って、いるんじゃないでしょうか。
あぁ誰か!誰かひとりくらい。この情けなくて本当にみっともない『たすく』のことを。誰かひとりくらい許してやってよ。愛してあげてよ。
そう思ってしまうくらい、彼には居場所がないのです。
大人になるのが、遅すぎたから。
仲野太賀の「情けなさ」
この情けないたすくを、切なく苦しく、それでもって身近に感じさせるのは、やはり仲野太賀の憑依の力だと思います。
馬鹿!しっかりしろよ!と𠮟りつけたくなるほど頼りない。情けない。
それなのに、取返しの付かない現実に向き合い、心の整理をつけようする顔を見て、大丈夫だ、頑張れと応援したくなるほど切実で。
彼の演技力を以てしてでないと、たすくがこれほどまでに不格好で、でも憎めない姿にはならなかったと思います。その不格好さが観ている私たちの胸に突き刺さる。
父親の座を別の誰かに脅かされていることに気付き、たすくはこっそりと保育園のお遊戯会に行きます。数年ぶりの愛娘。それなのに、成長した我が子がどの子か分からない。見分けが付かない。
そんなたすくの近くで、元妻(吉岡里帆)と楽しそうにステージにカメラを向ける新しい父親。彼には分かる娘が、たすくには分からない。『父親』は自分でなくてもなれるのだ、もう遅すぎたのだ、と気付いた彼の表情はあまりにも苦しい。
仲野太賀の表情に、居た堪れなさを感じるのです。
私は邦画が好きです。割り切れない感情、時間の流れ、そして時間とは少し違うスピードで変化する人。『泣く子はいねぇが』は、そんな邦画の、曖昧で、苦しくて、美しい姿を描いていると思います。
余談
レビューサイトなどではラストシーンに賛否あります。そうですよね、突然のたすくの行動力が少し怖い気もします。笑
でも私はそのシーンで涙が出たんですよね。
ああでもしないと、彼は娘の名前を呼べなかったのだから。顔を見られなかったのだから。もう、遅いことは彼自身が気づいているのだから。そう思うと涙がぶわああでした。でもまあちょっと怖い行動力ですね。
ちなみに、吉岡里帆の演技も素晴らしいです。こんなに上手な方だったなんて。。
監督の佐藤快磨は本作が劇場デビュー作。どうなってんだ。
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