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気象予報士はAIで十分ではないか?国家資格の意義?

ニュース番組と天気予報の情報錯覚理論

【情報錯覚理論】
これは私が作った造語だ

天気予想は皆さんみるだろう、
天気予報は当たらないと知ってても
予報士は予報をやめないし
我々も天気予報をみないということはしない。

1922年ルイス・フライ・リチャードソンという科学者が
【天気予報工場】というものを作った
巨大な建物に大勢の人を集めて、それぞれ天気の予想を
手作業で集計して統計を取るのだ。

もちろん察しの通り、天気があたるわけもないのは
今も100年前も同じ

天気予報というのは
カオス理論の兼ね合いで予報することが非常に困難だ

バタフライエフェクトでも有名だが、
ほんの少しの誤差が後に大きな影響を及ぼす

そのために1週間先の天気、
ましてや1ヶ月、3ヶ月先の天気予報など夢のまた夢なのだ

その夢物語を我々人間はいつまでも追い求めてる。

そもそもの話ですが、
ニュース番組のなかになぜ天気予報があるのか?
ニュースとは世の中の事件や事故を報道する番組ではないのか?

占いや天気予報など不確かな情報をニュースの中で伝えるのは
人間にそのこと自体が実際起こると錯覚させてしまうことには
ならないだろうか
もう一度整理しよう

ニュース→起こった過去
天気予報→これから起こる可能性のある未来

①    過去→②未来の順序で1つの番組の中でまとめてしまうと
理論ではわかるのだが人間は錯覚してしまう

偽の情報と本当の情報を交互に聞くと
人間はどちらが真実かわからなくなるのだ。
これはよく詐欺師が使うテクニックではある。

真実と嘘を混ぜて話すのだ。
この嘘が大きければ大きいほど
人間は信じやすい

国家資格である【気象予報士】
占い師が国家資格であることに疑問はありますが、

これからは、膨大なデータから予測するAIに任せてみてはいかが?
ニュースのほうはAIに移行し始めている。
ニュースの種類によっては感情移入したほうが人間ぽさがある。

天気に関しては感情は必要だろうか?
私は不要に一票!


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