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『四季』より『夏』〜ひと夏のアバンチュール〜

第1楽章 

6月上旬。僕は家を飛び出した。21歳実家暮らしの僕は、もうこんな生活はうんざりだって家出した。
もっと言えば抗鬱薬のクエチアピンが親にみつかり、鬱は甘えだの、言い訳だの言われたのが、引き金だった。
東京都から出よう。僕は自転車で走った。走って走って、パンクしたから自転車を捨てて歩いてどこまでも歩いた。
もう夕方になってしまった。
もう緑しか見てない。いや、これが順調なのかもしれない。
田舎のあぜ道を鉛のような足で歩く。井戸ポンプのレバーを最初に押すように。ずっとずっとそれが続く。知らんけど。
初夏とはいえ、今の初夏はおかしい。照りつける直射日光は8月のそれを超え、もはや赤道直下そのものだ。うなだれるようにこうべを垂れながら歩く。草いきれが僕に話しかけるようにつきまとう。もう限界だ、、。
僕はその場で倒れてしまった。

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「……ぅ……で…かぁ…。」

「だ……ぅ………すか。……。」


はっ…。気がついた頃には夕方だった。
え…。もしかして僕、丸一日ここで死んでいたのか。
「大丈夫ですか…?」
びくっとして、声のする方に目をやる。白のワンピースの中で少しM字開脚させた真っ白な股の向こうの、純白のパンツが目に飛び込む。
えっろ〜〜っ。
急激に下半身へ血流が集中したことにより、目眩がする。熱中症の後遺症というよりかはこれは、勃起性貧血である。

「うっ……。」
「水、飲んでください。」
ん、待てよ。こんな田舎にパンツで興奮させるような若い女性がいるのか?確率論的にはババァのパンツである可能性の方がはるかに高い。となれば、この勃起したちんぽを即座にノーカウントにし、男としての尊厳を維持しなければならない。
僕は恐る恐る、声を発した者の顔を見た。
驚いた。とてつもなく可憐な少女だ。
二重幅が広く、タレた少し眠たそうな目。綺麗な鼻筋。小さい口。めっちゃ可愛い。
「水、飲んでください。」
僕は上体を起こした。
「…。ありがとう…。」
僕は渡されたペットボトルの水を全て飲み干した。
「…立てますか……?」
「たってるよ。」
「…?座ってますが……。」
「あ、ごめんなさい。立てます。」

僕が立つと彼女も立った。スラリとしたスレンダーな彼女は白いワンピースに身を包み、麦わら帽子を被り、日傘をさしている。麦わら帽子から流れる黒い艶やかな髪が、彼女の包括的な白さを際立たせる。

「すごい…。汚れてますよ…。」
「あ…。」
「お家まで帰れますか…?」
「いや、僕、ここの人じゃないんです。」
「え?」
「ここ、どこですか?」
「檜原村です。」
檜原村って東京都じゃねぇか。東京脱出を目論んでた僕はガッカリした。
「『ここ、どこですか?』って、迷われてしまったんですか?それか、どこか遠くから、宛もなく来たんですか?」
「まぁ、そんな感じです。」
「じゃあ簡単には帰れないですね。とりあえず、私の家でお風呂に入ってください。」
え、いいの?僕は彼女の親切心に引っ張られ、彼女の家に足を入れた。

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シャワーを浴びて体を拭いたら、彼女が待つ応接室に向かった。この家はかなり大きい。昭和におけるモダン様式であり、西洋的な面構えは、建てた当時は前衛的なものだっただろう。それが檜原村なら尚更だ。
「麦茶、入れましたよ。」
「ありがとうございます…。」
「さっぱりしました?」
「はい…。おかげさまで。」
「体調はいかがですか?」
「もう大丈夫です。ありがとう。じゃあ長居するのも失礼になりますし、僕はこのへんで。」
「このへんで、ってどう帰るんですか?ここは田舎だから、夕方になるともうバスは終わってます。電車も通ってないし、タクシーは来ませんよ。歩いて帰るにしても、遠くから来たなら夜道を歩くことになります。ここは山ですから、遭難しますよ。クマも出ます。」
最後の一文で、ここを出る全ての気力が削がれた。
「じゃあ、僕、どうしたら…。」
「泊まっていけばいいですよ。」
いやはやラッキースケベチャンスである。
「そういえば、ここに一人で住んでるんですか?」
「まさか。お父さんとお母さんと住んでます。」
ですよねーー。
「いつ帰ってくるんですか?お二方は。」
「お母さんがもうじき帰ると思います。」
「いや、やっぱり失礼になりますし、帰りますよ。お父様、お母様にどう接すればいいのか。あなたとの接し方も分からないのに。」
「大丈夫ですよ。幼い頃に仲良くしていた人が遊びに来てくれたって言います。それに、困っている人を助けるのは村の掟です。」

そんなこんなで僕はこの家に泊まることになった。
「あ、ごめんなさい。スマホ、バッテリー無くなっちゃった。充電器あったりします?」
「あ、はい。私の部屋に。」
僕と彼女は、彼女の部屋でずっとお話をした。話というのは、僕の話ばかりで、出身地だの、高校はどこ行っただの、今大学生で、あれやこれやを学んでいるだの…。
彼女はそんな僕の浅い話を、熱心に聞いてくれた。前のめりになりながら聞いてくれた。僕も (彼女のワンピースからスラリと伸びる脚や、ゆるい胸元から見える鎖骨やら、おしとやかな乳房によって膨張した下半身をカモフラージュさせるために) 前のめりになって話していた。
ここで分かったことは彼女の名前は、ねねで、歳は18歳ってことだ。そして、中学2年生から学校には行ってないそうだ。会話から推測するには、彼女は少々、社会を知らないようだ。18歳なら仕方ないと思えるかもしれないが、どこか世間知らずというか、箱入り娘として育てられたような気がする。
これらの会話で、僕達はタメ口で話すほどに仲は深まった。

玄関から音がした。
「多分、お母さん。」
「ただいま。」
「おかえりなさい。」
「こんばんは…。初めまして、すみません、お邪魔してます。」
「夏目くんだよ。昔よく遊んだ。覚えてる?」
「あー、そんな子もいたかねぇ。お久しぶりです。ゆっくりしていってね。」
お母様は小綺麗な人だった。だが歳は60歳前後くらいで、僕の母親より年上だった。

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お母様が作ってくれた晩御飯までご馳走になった。その後はねねちゃんと、部屋を暗くして星を見ていた。
「僕、家出したんだ。」
「そうなんだ。どうして家出したの?」
「……。」
「ごめん、聞かない方が良かった?」
「僕、鬱なんだ。それが親にバレて…。」
「バレて?心配してくれなかったの?」
「うん。鬱は甘えだって。」
「そっか…。親御さんが心配してくれなかったら、寂しいね。」
「でも、僕、ねねちゃんと出会って、まだ浅いけど、幸せだな。」
「ふふ。私も。」
そんなことを話していたら、性欲なんて無くなってしまった。薄暗い部屋、明かりは月明かりのみ。おっぱじめるにはもってこいのシチュエーションすぎるのに。

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家出という身の上から、僕はしばらくここに置いてもらうことにした。ねねちゃんからお母様にはその旨を伝えてもらった。ねねちゃんもお母様も僕を手厚くもてなしてくれた。
それにしても、この家に来てから2日目になるがお父様を見ていない。
「お父様、帰ってこないの?」
「研究してるの。だから3、4日に一度くらい帰ってくるよ。」
「研究者?なんの?」
「医学だって。」
だって、に少し違和感を感じたが、どうやらお父様は医学研究者らしい。なるほど、家が豪華なのも妙に腑に落ちた。
けど、研究所やら研究室がどこにあるのかは分からないが、医学研究者がこんな辺鄙な田舎に住むだろうか。
「具体的にはどん…」
「ね。川に遊びに行こう。」
会話を遮られた。でもねねちゃんが可愛いから何でも良かった。

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川で遊んだ帰り道。僕らはずぶ濡れだった。濡れた体に張り付くねねちゃんのシャツがエロかった。腰回りや胸の辺りのラインが浮き出る。僕はあっという間に性欲を取り戻した。そういえば、何日も自慰してない。こちとら溜まってるんだワ、ねねちゃん。
あー、ねねちゃん、抱きたいなぁ。

少し先を歩くねねちゃんが振り返る。
「ね、夏目くんって血液型なに?」
「えっ、Aだよ。」
「ほんと?一緒!」
「え、なんで?血液型?」
ねねちゃんは少し笑って
「ナイショ。」
「なんだよ。血液型占い?」
言おうか躊躇って
「……そんな感じっ。」
「恋愛…?」
「……。」

ねねちゃんがぷいと前を向く。
「…。」

「…。」

「ねねちゃん。」
「ん?」
「付き合ってくれ。」

ねねちゃんの表情は分からない。
でも多分、恥ずかしそうな表情をしている。

少しして、振り返った。微笑んでいた。
「……嬉しい。喜んでっ。」
やりました。俺。これはねねちゃんとの合体のアポです。田舎も捨てたもんじゃないな。

「そうだ。今はね、血液型とかじゃないんだよ。」
「そうなの?」
「MBTI診断っていうのがあってね。」
スマホを出して調べようとするが、さすがド田舎、WiFiが繋がらない。圏外だった。
「いや、なんでもない。」

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家に帰って風呂に入るのだが、僕はねねちゃんを先にお風呂に入れた。
「風邪ひいちゃいけないからね。」
そうしてたら僕が風邪をひいたみたいだ。少し頭が痛い。

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第3楽章 

風邪をひいたなんてそんなことどうでもいい。今夜はねねちゃんとやるんだ。交際関係にあることだし。
昨晩同様、部屋を暗くして空を見ていた。しかし、星はひとつも見えなかった。というのも夏の嵐が来たらしい。だが、この家に来て2回目の夜だし、ねねちゃんとは付き合ってるんだし、昨日よりロマンチックに感じた。

「僕、ねねちゃんと出会えてよかった。鬱なんてないみたい。」
「へへ。私も。友達もいないから。夏目くんとこうやって一緒にいるの、新鮮だし、幸せ。」
この上ない幸せだった。

「あ、そうだ。さっきのMBTI診断っての、見せてあげるよ。」
「あっ。」
スマホを出して検索しようとする。が、まだ圏外だった。
「あれ、ここも圏外だ。そうだWiFiある?ごめんね。」
「ワイファイ?ない…と思う…。」
え、なんで?ねねちゃんスマホ持ってないの?あれ、昨日スマホ充電させてもらったよな…。
「え、ねねちゃんスマホないの?充電器はあるのに。」
「あっ…!ワイファイ…!多分……壊れてるのかな。」
「……。」
なんだか変な気がする。頭も痛くなってきた。
BGMはヴィヴァルディ️『四季』より『夏』
どうやら第2楽章はすっ飛ばしたらしい。
指揮はアレクサンドル・アニシモフ。

「友達に連絡したい。いきなりいなくなって、しんぱ…」
ちゅっ。

ねねちゃんが急に僕にキスをした。
「え?」
ちゅっ。れろ。
「ぉ。」
じゅっ。じゅるっ。

やばいねねちゃんとキスしてる。
下半身に血が集まる。あ…。まただ。
勃起性貧血だ…。目眩がする。
でも僕は最後までやり通さなければならない。風邪気味だろうが貧血を起こそうがそんなの関係ない。

僕はねねちゃんの胸元に手をやる。大きいとは言えない胸を揉む。シャツの下はブラを着けていない。
ねねちゃんの息遣いが荒くなる。
しばらく揉んだ後、僕はねねちゃんのシャツのボタンを勢いよく外した。

「え……?」
ねねちゃんの胸の真ん中には目立つ傷跡があった。

「ど、どうしたの?これ…。」
「……。」
「あ、ご、ごめん。」
僕は急いでシャツを閉じた。


「私、心臓が弱いの…。」
「…。」
「何回も手術して…。」
「ごめん…。ペースメーカー…ってこと?」
「うんん、カエルの心臓…。」
え?カエル??


「私、心臓移植でカエルの心臓なの。」
「え…。もつの?」
「うん。長くて3ヶ月くらいは。」
こいつヤバすぎる。
「え、でも長くても3ヶ月くらいしかもたないの?その後はどうするの?」
「またカエルのを移植するの。幼いときからずっと…。」
この前豚の心臓を移植して、2ヶ月後に死亡した心臓病患者のニュースが話題だったが、こいつをお偉い機関に持ち出せばノーベル医学賞モンだ。

「その辺のカエル…。取ってきて…私に移植するの。」
WHO (世界保健機関) に報告しよう。

「体、悪いの、夏目くんに言いづらかった。私は両親に病気だからって心配されてるから…。」

「ごめんね。それでも体弱くて…。手術ばっかりしてるし、体力がつかなくて。」

「私、長くないんだ…。」

「もし私が死んだら、夜、空を見てね。いちばん輝く星が…私だから。」

「ハートの形の雲があったら…それも私だよ。」

「空から夏目くんのこと見守ってるからね。時には地上に降りてきて、猫になってるかもね…。」

「たまにカエルになってるかも…。」


なんだよ。僕はいつまでもねねちゃんと一緒にいられるわけじゃないのか。彼女は僕のクエチアピンだったのに…。
彼女がいなくなったら…。


僕はこの恋がこの夏で終わる気がした。

いや、そう確信してしまった。


ねねちゃん、カゲロウみたいなやつだな。
ひ弱なんだ。雨にあたれば、たちまち飛べなくなって死んでしまう。
初夏のコンクリートにへばりついて。

僕は何が何だか分からなくなった。気分が悪くなってきた。だから、もう一度キスをした。

ふたりの舌が絡み合う。
唾液を移し、移される。
あぁ、ねねちゃんの唾液…。
僕の口に入ってくる。

ちゅっ。
まただ。
ちゅるっ。
もっと。
じゅるっ。
もっと。もっと。ねねちゃんの体液に溺れたい。


ちゅっ。
じゅっ。
じゅるる。
じゅるっ。


ごぼっ。

「えっ…?」
いきなり、キスではありえない量の液体が僕の口腔内へ流れ込んだ。
「ごほっ。ごほっ。」
「えっ?うっ。ぉぇ…。」
血反吐だ。
「ぅぁ…。ぉぇ…。…ねねちゃん!」
ねねちゃんに触れようとした瞬間、とんでもなく目眩がして倒れた。

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目が覚めると僕はベッドの上だった。しかし、ただのベッドではない。マットレスのような柔らかさはなく、天井には手術のライトが提がっている。
え?僕手術するの?

「こんにちは。夏目くん。」
「え?誰?」
「ねねの父です。」
「なんで僕は手術台に?」
「少し、君の心臓を頂くだけだよ。」
それ、死ぬじゃねぇか。

「なんで僕なんだよ!カエルでいいじゃんか!」
「ねねも成長して、体が大きくなっています。カエルの心臓では、そろそろ限界があるのです。あと、私らがカエルを採りすぎてこの辺はカエル、絶滅の危機ですからねぇ。」
「……。」

「夏目くん。」
ねねちゃんの声だ。回復したみたいだ。良かった。
「夏目くん。ありがとうね。」
はぁ、そういうことか。

「心臓移植か。だから俺に血液型聞いたんだな。だから同じA型で喜んでたんだな。」

「…。」
「なんか言えよ…。」
また意識が遠のいてきた。


「心臓移植に血液型は関係ないわ。」
「…。」

そうか、本当に好きでいてくれたんだな。
ねねちゃんは、最初から僕の心臓目当てで付き合ってたにしても、そうでなくても、純粋に僕との恋をしていたんだ。

せめてねねちゃんとの思い出を噛み締めよう。短くもこの上ない幸せを。

「輸血よ。」

はえー。こいつ、おもしれー女。

そう思いながら息絶えたい。

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