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関西出身の私

私は関西出身だ。
地元は兵庫県西宮市。

実家にいた頃は、お風呂に入っていると、甲子園球場からの応援が聞こえてきた。「ワァー!!」と歓声があがると「点が入ったんかなぁ」とか、六甲おろしが聞こえると「もうそんな時間か」と思ったりした。

大学まで実家から通い、卒業後、上京した。
会社の寮に入って、しばらくしてから1人暮らしをした。

その後、退職して海外に行ったり、戻ってきて結婚したり、なんだかんだで、大学卒業後、ずっと関東圏で暮らしている。

実家にいたのが22年、
実家を離れて17年。
(年齢がばれるな…)

だんだん実家を離れている年月が長くなってきた。
いつか、22年という期間を追いこすのだろう。

関西を離れて長い私だが、ふだんの言葉はもちろん関西弁。ただし、関西出身の友達と一緒にいるときか、家庭内限定だ。普段の生活では、外では標準語をしゃべっている。これは意識してそうしているというより、相手が標準語だとそうなってしまうのだ。

時々、いつでもどこでも誰とでも関西弁の人がいるけど、逆に「すごいな」と思ってしまう。私の場合は、どうも会話のリズムが合わない気がして違和感を感じてしまうので、関西出身の人ではない限り、自然と標準語になってしまう。

しかし家庭内では関西弁だ。夫は東京出身で、子供達も横浜在住なので、関西人は私1人なのだが、リラックスしていると素の自分になるのだろう。「お風呂入る時間やで」「もう寝ぇや」「これ、洗濯せなあかんかなぁ」なんて感じだ。

結果、少数派の私にひきずられて、子供達は標準語と関西弁が混じった言葉を話すことが多い。たぶん学校では、標準語を話していると思うけど。

これがバイリンガルというのか。関西弁と標準語やけど。

頭の中の思考言語はどっちか?

ところで、頭の中の思考言語はどうなっているのだろうか?ふとそういう疑問が湧いて、自分の頭の中を観察してみたことがある。

結果は、関西弁で考えるときもあるし、標準語で考えることもある。まぁそうか。でも、関西に住んでいるときは、頭の中は関西弁一色だったように思うから、かなり標準語に侵食されてきているように感じる。頭の中は、誰にも見られない自分1人の領域なのに、そこで標準語を使うとは。

でも、横浜に住んでいる今の生活ではこれが自然な気がする。言葉とその土地の空気感みたいなものは、やっぱり密接にかかわっているのだろうか。横浜にいると、話す言葉も考える言葉も、自然と標準語の割合が多くなる。(完全ではない。やっぱり関西人だから)西宮に帰ると、今度は関西弁になる。

人間って柔軟な生き物なんだな。

しかし、やっぱり標準語をは話しているとき、それは一枚違う皮をかぶっているような気持ちがすることも事実だ。自然なことだと思いつつ、かぶりものをしているような気持ちがする。「いやいや、ほんまはこっちなんですわ…」と背中のチャックを外すと中から本当の自分が出てくるような。

しかし、そもそも本当の自分て…

と書き出すと終わりがなさそうなので、今日はここまでにしておこう。それにしても、久しぶりに関西に帰りたい。こんなに県をまたいだ移動が大変になるなんて。がんばって働いて、長期休みに地元に帰省できないなんて、やっぱり寂しさを感じてしまいますね。

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